琴子と私の“12月”

最近、少し時間がなくて、年末に向けて家をもう少しどうにかしようとか、もうそんなに時間はないから、来年の311までにはどうにかできるようにしようかとかと、話し合ったり考えたりしているばかりです。

12月は不思議な月です。
実は私は、ただやたらと盛り上がろうとするクリスマスへの雰囲気作りが大の苦手です(嫌いと言った方が正しいほど)。勿論、クリスチャンの方たちの祝う気持ちへは尊重する気持ちもありますから別ですが、基本的には日本の商戦クリスマスには好感が持てません。それは琴子が死んでしまう前からなんですけどね。
琴子が死んだ年のクリスマス、意外なことに気がつきまして、サンタクロースとツリーと、そして結構な頻度で皆さん、天使の絵を扱われているので、「なんだよ、本当はうちの子達は主役級なんじゃないか!」と、ちょっと誇らしげにおもえました。以来、騒ぐ方たちを冷ややかに眺めつつ、「実は私の子こそが、その目立つ立ち位置にいます」と心の中で自慢に思っていたりもして、そうやって無理して共有していたりもします。なんとも素直じゃない感じがしますね。

これから迎えるお正月は、2004年のお正月は、本当に辛かったです。子どもが死んだって聞いても「死産」(当時はまだ戸籍に載せることも出来ていなかった)という言葉がそうさせるのか、年賀状が普通に送られてきたりとか、テレビはおめでとうしか言わないし、意味もなく笑っているし。そういう世間に慣れてきていたような日々であったつもりでも、実は全然平気じゃないと気づくことにもなりました。本当、嫌でたまりませんでした。

何が言いたいのかわからないのですが、12月はあんまり得意な日々ではないと、12月に入って年の瀬を迎える身構えと共に、自分でふと立ち止まってしまいました。

友人に敬虔なクリスチャンがいて、彼女は遠くの地から駆けつけてくれ、一緒に泣いてくれて、別れ際にも
「これからも琴子ちゃんのことを一緒に祈らせてください」
というようなことを言ってくれて、私はとっても嬉しかったし、そういうことを言わせてくれる力に感謝したことを思い出し、琴子が教えてくれたことは沢山あったなぁと想い、そしてこれからもまだまだ沢山あるのだろうなぁと遠くを眺めるような気持ちにもなりました。

あんなに嫌だったお正月にも、少しずつ気持ちが変わってくることができました。勿論、琴子を産む前までのお正月は無理ですが、「新しい年を家族揃って健康に迎えられるということの幸せ、慶び」というものを心の底から感謝することができるようになりました。こんな当たり前のことすら、子どもの死から学んでしまったわけです。しかし、なかなか「おめでとうございます」と明るく言える気持ちになれないのは、琴子への、親としての懺悔の気持ちなんだろうとおもいます。そして、今年もどうしても妊娠と出産で悲しいお別れをしてしまった方への気持ちです。私の一方的な想いなんですが...


まだ一年を締め括るほどの年の瀬ではないのですが、自分の気持ちを自分で確認したかったので、書きました。

琴子に会いたいです。