求めるものは?

「暖かい支援」*1というのが助産所(自宅分娩含;以下略)の代名詞のようになっています。これらの問題について、もっとストイックなまでに助産所での問題点を考えていくべきだとおもっていますが、何故か「病院だって」というような意見になりがち。それら個々の体験談を否定するつもりはありませんが、基本的には別にして考えるべき問題とおもっております。但し、助産所の場合は「そこで完結できない問題」があるため、病院のことも話に出てきます。だからといって、「助産所は安全なのか?」と、「病院は安全なのか?」はイコールではない。なんでもかんでも引き合いに出して論じることに意味があるとは思っていません。時に、分別も必要。

「暖かい支援」という言葉を妊娠や出産に関して使う際、母子の死亡率が下がった現代だからなのか、「無事に生まれることを前提」としているように感じます。それが出産の専門家という方からも感じられることがある。中には医療問題というよりも、手厚い接待を受けられたか否かの問題になっている気配すらある。
もちろん、どこに行ったってサービスは良い方が嬉しいに決まっているのだけど、サービスに夢中になって本末転倒であったら意味がない。

ホテルに泊まって手厚い接待(サービス)を受けることのように、「暖かい医療」を勘違いしてしまってはいないだろうか? 「暖かい」ということを履き違えてはいないだろうか? そして、助産所などが掲げる「暖かい」が「ホテルに泊まって手厚い接待を受ける」と同レベルなのではないか? と疑い見直す必要があるのでは?

子どもが「暖かい支援」を誇る助産所で無残な死を遂げた親からしてみると、医療に求める支援とは? 支援? サービスを求めるあまりに見失ってしまうものがあるのではないか? と感じてしまっている。そもそも、助産所が医療として語れるものなのかさえ怪しいというのに。そこからして専門家の方たちが議論すべき、見直すべき問題だとさえ思っています。


しつこく何度でも申しますが、私は助産所問題を考える際に、世にはびこる「すぐに出てくる医療批判」は大きな鍵だと思っています。

*1:私の体験上、このブログでは助産所(自宅分娩含)問題を中心としています。「暖かい支援」についての解釈などは、終末期ケアやホスピスなどといった医療の場で求められる内容とは全く異なりますことを予めご理解ください