「15分」はすぐなのか?

カンガルーケアにいただいたご意見で記事をとおもっていましたが、実は先日、愛犬が亡くなりました。そのときに搬送のことを考えることがあったので愛犬への感謝も込めて先に記事にすることにしました。

亡くなる直前までは元気で、散歩に餌といつも通りの状態だったのですが、ほんの数分目を離したすきに倒れ、気がついたときには既に息絶えていたようでした。しかしあの時はこちらも必死で、まだ生きていると信じて蘇生したくいつも通っている獣医さんに電話したのですが、朝早いこともあって病院は留守電。隣町にある獣医さんに申し訳なくも電話したらいらっしゃって、状況を説明したら来ていいよって言ってくれたのですが、ただ「うちまでどのくらいかかりますか?」という問があり、「15分くらいです」と言ったら、「間に合いますかね...」と。行く約束をしてから用意しているあいだに、家族が「肉球も冷たくなってきたから、もうダメなんだ」と言って、温かいうちにと家族全員でお別れしました。

琴子の裁判のときの相手側の弁論に「提携している病院もあって、そこまでは20分だ」というような主張がありました。それは近いということを印象づけるような言い分で、この件は以前から当ブログでも何度も言っていますが、20分が近いのか? という疑問。更に今回、愛犬の死をもって20分よりも短い15分ですら遠くて長いものを感じましたから、やはり搬送というのは最低最悪に備えた手段であって、「搬送ができるから大丈夫」なんていうのは言ってはいけないことなんだと思いました。
もちろん、人間ならば救急車内でできる処置もありますから、犬が家族に急いで連れられていく15分とは違うでしょうけど、しかし救急車が自分の家に来るのにまずどのくらいかかるのかも含めて、15分なんていうのはあっとういう間に過ぎていく時間でしょう。病院からより高次への搬送ならばできる処置が全く違うのですが、家からとか助産所からというのは「医療処置のできない状態」ですから、“見守るだけ”です。よく一部の開業助産師の方が「助産師は見守るだけ」と言っているのを見かけますが、緊急事態に対しては本当に見守るだけになってしまうのでしょう。

愛犬が亡くなってから何度も「15分」「間に合いますかね...」が繰り返され、そして琴子のところにいるだろう愛犬が、改めてこの問題を教えてくれたような気がしています。
お産のプロが「搬送ができるから大丈夫」なんていうのは言ってはいけないことなんじゃないかって。