身の毛もよだつ「それよりも」

先日の当ブログ「カンガルーケア」と書く前に...で触れましたベストアンサーの内容(Yahoo! 知恵蔵>カンガルーケアの危険性について)が怖くてたまらないんです。

“それよりも”−身の毛もよだつように恐ろしく、そして悲しい。この話の中ですっかり忘れられたかのような存在の胎児である赤ちゃん。助産所や自宅出産の危険性を語っても、「どうせそれはたまたまの出来事で、私は愚かじゃないから大丈夫」だから、「それよりも、一度産みたいと思った場所で、何がなんでも産む!」とという考えを変えるつもりは毛頭なく、“自分に都合良い情報だけしか頭に入らない”構造。だから、「それよりも、赤ちゃんの命や体の方が大事じゃないの?」って言っても、こういう場合の「それよりも」は排除できちゃう。結局、なによりも大事なのは「自分がどこで産むか」なんだよね...一度だって真剣に「赤ちゃんの命だけ」を考えてみたことはなさそう。助産所や自宅出産に憧れているっていうことは、そこには「母親が嬉しいことを赤ちゃんも喜ぶ」という刷り込まれたエゴがあることも多いから。

他には
出産するのに育児書とか情報を調べないんですか?Yahoo! 知恵蔵)
なんていうのもあって、こちらの場合はアンサーがまともなのが救いですが、「育児書」がまともだとおもっているのか? と言いたくなりましたね、私も育児書とかで調べて、助産所についての危険性なんてどこにも書いていませんでしたから...調べていないって言って責められるのであるならば、調べるために存在している育児書がまともじゃないって責め返したいですし、実際に問題の多い育児書が多いから。なんとか学とか、協会とか、名前だけ立派で中身が守銭奴なのこそがまともなこと言っているとおもわれているところもありますからね、それだって「調べてたどり着いたもの」だとして、それでも「調べもしないのか!?」って言われるわけで...そりゃ確かに、「そんな妙なものに惑わされない人」も多く存在しますから、惑わされた私たちがアタマ悪いんですけど、それは認めますけど、でもおかしな情報発信に協力している国家資格持つ方もいますからね...耳ざわりが良い情報ばかり流す方のが悪いはず。事故などといった不幸、真実は避けていること多いし。


「それよりも」...>最初に胸に抱いたら子どもの死や障害につながったっていう話を基にしているのに...この「そんなこと滅多にないから大丈夫!」という感覚と「何がなんでも良さそうだからしようよ!」っていうのに身の毛もよだつ。なんの設備もない助産所や自宅出産でもまだまだされているだろうに...