誰に何を?

なおこさんsuzanさんがくださったご意見にレスを書いていたのを記事にすることにしました。
なおこさん、suzanさん、このようなレスですみません。

私としては、過去、助産師会にはお願いしたり、個人として、自分ができることはやってきたつもりです。
このブログの継続も含めて。
助産師会も助産師も、いつでもお話しはしたいところですが、元記事のように私からの質問には「裁判を決心してから」はまともな対応が得られずにいます。提訴前は連絡もあったし、改善も約束してくれてました。ガイドラインも出されました。「訴えます」と伝えた途端、変わられました。そんなレベルではいけないはずなのに。


私がいつも書く時にきつく言って聞かせたい人物がいて、その人物に向かって書いています。。
それは琴子を産む前の私です。
バカヤロー、早くその愚かな、酔いしれたエゴに気が付け! 子どもが生きるために産むんじゃないのか? 子どもが死んじゃうぞ! と、あの頃の自分にどうやったらわかってもらえるのか? と、必死に言っています。
この話聞いて、どう思う? と、いつも最後は自分に聞くような気持ちです。

あの頃、私を誰が助産院で産むように誘ったのか? 思い出すのも反吐が出るほど悔しいものがありますが、しかし、無責任な幻想に憧れたバカは私自身です、私が選んでしまった結果でもあるのだから、誘った人に琴子のことで直接話したりもしていません。向こうの人たちも、避けるようにしていました。
この先、どこかの助産師が逮捕されようと起訴されようとどうであろうと、何があっても琴子は死んだ以上、生まれ戻ることはありません。それが、人の死ですから、奇跡を祈ることすらできません。

なんで自分は良いと思ったのか?
なにに魅力を感じたのか?
どうしたらカラクリに気がつけたのか?
毎回、答えとしておもうのが、産む側がもっと現実の問題を知るべきだということです。
暴走する専門家(一部素人)がいて、優しい、柔らかい言葉で聞こえ良く表現し、親身になってくれるようだが、リスクの話はあったか? 搬送するから大丈夫っていうのも無責任なだけだよ、なにかあったらどうする? って、だったら、最初から何かあった場合を想定した方が、子どもに辛い結果になりにくくなるのではないのか?

今でも、ネットで逆子について調べてた自分をリアルに思い出せますが、本当に知るべき情報には出会えなかった。

本当なら今、元気に運動会で走ったり、笑ったり泣いたりしてたはずの子どもが助産所で死んでるんです。生きていたら小学校5年生。親として、簡単に終わらせられる話じゃない。