新聞記事
今日、読売新聞と地元の新聞社の下野(しもつけ)新聞に記事が掲載された。
読売さんの方は今日は入手できず、明日見れるので、全文は明日になるとしても、先ほど、ネット版で読むことができた。
下野さんの方は知人宅でとっておいてくれたので助かった。
実は、私は起訴したことを殆どの人に話していない。
理由は『嫌なことを言われたくないから』。
こう言うとなんだか子供の我儘のようだが、美化された残酷な言葉なんて、誰だって言われて嬉しいはずがない。
私は今年の1月に琴子の妹を出産したのだが、妊娠がわかった当初、どうしても報告しないといけない人に報告をしたら、
「今度は大事にしてね」
と言われたことがあり、それは妊娠3ヶ月の頃のことだったのだが、以来、大きいお腹をいかに隠すか、そんなことにばかり必死になり、いかに妊娠していることが知られないか、傷付くことが怖くて悲しかった。
裁判の報告をしたと想定して、きっと中には「まだそんなことを」と言う人がいたとしたら、そう言われてしまった瞬間から先の私達の日々は、「まだそんなことをし続けている日々」になってしまう。
つまづくのは嫌だ、石は無い方が道は歩き易い。
知人の家に用事があって伺ったら、
「起訴したんだね」
といきなり言われた。
「新聞、とっておいたよ」
と言われ、記事が掲載されている面をまるごとくれた。
記事の内容を読んで私は怒った。
助産師Hはこの期に及んでも嘘をついている。
新聞社の取材に対し、助産師は
「女性には病院での出産も勧めた」
とある。
は?
私、あなたにそんなこと、一ッ言も言われたことなんてないよ。
私が最初に分娩を予定していたお里の助産院では
「逆子だったら病院だよ」
って言うから、Hに
「どうして逆子だと病院なんですか?」
と聞いたんだ、そうしたらあなたは
「わからねー。どうしてだろうなぁ、逆子の方が簡単なんだけどなぁ」
って言ったんだよ。
お里の助産院で、もっと聞けばよかった。
今更悔やんでも悔やみきれないけど、お里は決して近くないから、お里の助産院には滅多に行けなかったし、逆子を直すための時間がまだいくらかあった頃だったから、私は直すことに必死になっていて、お里の助産師との会話が深まる前に逆子を直す神の手としてHを紹介され、出会ってしまった。
Hはベテランで、地元で評判が高かった。
でもこれらはきっと、琴子のように死なされてしまった子供のことは闇に葬られたままで、無事に産めた人だけの声だったんだよね。
こんなの、ちっとも正しくない情報だったんだ。
新聞をくれた知人の方に、私は怒りを吐き出していた。
この方は私が信頼している方なので、琴子の妊娠中のときからなんでも話していた。
だから、当時のHが私に言ったことなどを、当時の私を通して聞いていたし、覚えていてくれて、
「そうだよね、こんなこと言っていないよね」
と思い出してくれた。
新聞社からの取材に対し、Hは
「争うつもりはない」
とも言っている。
いい加減に気がついて欲しい。
こういう嘘をついていることが、争っている姿勢ってことなんだよ!