嘘ついたまんまで和解はいやです。

民亊裁判では、裁判の長期化を防ぎたいということで、やたらと和解を薦めているそうだとか。

民亊裁判では和解が流行っているということか。

うちの弁護士は、

「判決文を書くのもかなり面倒臭いのでしょうね」

と言っていた。

そこから、『司法のしゃべりすぎ』で有名な井上薫裁判官の話になり、私は本の存在、その後の上司を罷免請求したことを知っていただけで、この本は読んだことはなかった。

ので、内容に対し、どうこう言えないのだけど、和解をなるべくなら避けて、判決文が欲しいとおもっている今、判決文に付ける判決理由を“蛇足”と言われて省略されたりするってことが、ちょっと怖い。

というか、井上裁判官は横浜市の人だし、私が関わることはないのだけど、弁護士と話していて、ついつい、ちょっとだけ深く考えてしまった。

ちなみに、井上裁判官は『判決文は面倒臭い』などとは言っていませんから。


うちの場合、助産師の過失を被告側(保険屋&代理人の弁護士)も既に認めているからか、争点がないままに進んでいる。

最初っから、裁判官は「和解はどう?」なんて感じで被告側に言っていたし、その後も、「和解は?」ばかり。

ついに、次回までに、被告側が和解金の提示をするとなってしまった。

私達は常に弁護士に

「和解なんていやだ、嘘をついたままなのに、どうして和解が受け入れられる?」

と訴えているのだけど、弁護士は

「提示額次第では、蹴るに蹴れない」

と言う。

「でもきっと、ろくな額を言ってこないでしょうから」

とも言う。

「どうか、ろくな額を言ってきませんように…」

と、妙な祈りを捧げる日々。


私達は裁判が長期戦になっても、全然構わない。

肝心の琴子は既に死んでしまっていて、時に追われることはない。

納得いくようにします。