胎盤を食べること−夏休みの宿題

残暑お見舞い、申し上げます。

琴子も生きていれば今年から小学生になっていますので、この夏は“夏休みの宿題”も楽しんでいたはずです。
琴子と直接出来ないのは残念だけど、ブログを通じて沢山の方と宿題を一緒にさせて頂いていますので、小学校一年生にしては難題のような気もしますが、今夏のテーマは“胎盤を食べる行為について”でした。
いやぁ、しかし終わらない!!!
…ブログ引越しもあったので(←言い訳)、ちょっと間に合わないんですけど、でも実はブログ引越しをする前にうさぎ林檎さんが先に宿題を終わらせてくれていたんです。
それを(今頃…)紹介させて頂きます!!!
うさぎ林檎さん、いつも有難うございます。
(尚、このコメントは以前のFC2の方にくださっていたものです)

気の早い夏休みの宿題

琴子ちゃんのお母さん、こんにちは。

読む読む詐欺をしておりました「日本産育習俗資料集成」についてかいつまんでご報告。

この資料集は皇太子(現天皇)が誕生した際に下賜された基金を元に設立された「恩賜財団星愛育会」が編纂したものでした。
恩賜財団は、民俗学者柳田國男の指示を元に昭和10年から全国に於ける”妊娠、出産、育児に関する伝説、習俗”の調査を開始しました。調査に協力したのは各道府県の”地史、土俗に詳しい郷土研究の篤志家”。調査項目は予め決められ、それに答えるという形式で実行され、収集は昭和13年に終了しています。資料はタイプライターでてカード化され、総数は5000枚に達していました。
その後戦争(第二次世界大戦)が激化し、作業が中断されましたが、戦後戦火を免れたカードを元に昭和50年に第一法規出版株式会社によって資料集は出版されました。

調査した年代と聞き取り対象となった古老の年齢を考慮すると、ここで取り上げられている習俗は江戸時代末期〜昭和初期であると思われます。で胞衣の項目に記載されていた内容は以下の通りです。

1.処分方法
①埋める〔日陰、便所、床下、庭、玄関、厩、土間、山野、境内、堆肥場、墓地、産室、台所、恵方、畑、竹林、ゴミ捨て場、木の下、海岸〕
②捨てる〔日陰、川、海、古井戸、誰も行かないところ〕
③吊す〔樹木の上〕
④焼却〔胞衣会社、産婆組合、汚物焼却場、市役所、警察が取り締まる〕

2.容器
つぼ、かめ、小さな器、ひしゃく、土器、桶、俵、どびん、古着、古布

3.供えるもの
男子〔筆、墨、紙、算盤〕、女子〔針、糸、はさみ、紅、白粉〕

4.埋める、捨てる場合の場所の決め方
①寺、神社、山伏に尋ねる
②人の踏むところ、踏まないところ
③日光の当たらないところ〔罰が当たる〕
④金神〔陰陽道の祟り神〕を避ける

5.俗信
①誰の生まれ変わりか書いてある
岩手県(北岩手地方)〔木灰のあるところには絶対に埋めてはならない。もし灰気が通うと生き還ってくる。そして産婦の裾から元の所へ入っていき産婦の生命を奪うという。そんな妖霊のあるものとして後始末には慎重な注意が払われている〕
福井県丹生郡)〔胎盤を煎じて飲むと肺病が治る〕

結論としては、正史の中に胎盤を食べたという記述はありませんでした。このことから、もし全国的に風習が一般的なものであっても、それはあからさまにできない行為と考えられたとは謂えると思います。資料中には”不浄物、汚れ物、汚物”の表現が散見され、一般的には忌物として認識されていることが見受けられます。

私は胎盤食があったとしても飛鳥時代以前に遡らないと見つからない気がしています。と謂うのも私達はあまり自覚はありませんが、一応仏教徒です。この事から2点ほど疑問が浮かびます。
①仏教では殺生、肉食を建前上は禁止している、敢えて禁忌を破るだろうか。
胎盤を動物が食べているのは観察されていただろう。六道輪廻でも”畜生道”は救いのない世界です、果たして”畜生”の行為を真似るだろうか。
私個人としては②が厳しい気がするので、仏教伝来以前でないと”一般的な行為”と考えるのは無理じゃないかなぁ、と思っています。

以上、長文失礼しました。

私のほうも、読む読む詐欺からの脱却を目指し、下記のものを読んでいました。

  1. 民族学がわかる事典 新谷尚紀/編著 日本実業出版社
  2. 死体が語る歴史−古病理学が明かす世界 フィリップ・シャルリエ/著 吉田春美/訳 河出書房新社
  3. 歴代天皇のカルテ 篠田達明/著(これは以前にひぃたんさんが教えてくれた本です、有難うございます)

下記からは未読ですが、随時読んでいく予定で手元にあるものです。

  • 埋甕−古代の出産習俗− 木下 忠/著 雄山閣
  • お産の歴史−縄文時代から現代まで 杉立義一/著 集英社新書※他にも胎盤を食べるということについて資料になるものを教えて頂けたらお願いします 

1と2に関しては、関連する内容しか読んでいません。
2は『弟25章 薬としての人体』とありまして、ヨーロッパにもたらされたアラブ医学(980−1037年)では、多くの病気の治療に『ムミア』と呼ばれるミイラの粉がよく使われていたとありました。
主には頭痛、麻痺、喉の痛み、骨折、吐き気、結核などだそうです。
ちょっとグロい話の展開なので、これ以上は避けますが、これも決して肯定的な内容でもないんです。
ただこの章の中で引用されているアンブロワーズ・パレの言葉

健康を回復する手段がほかになければ、どんな非道なことをしてもよいと思っているのか

に激しく頷く私がいました。

1の中、「むかしの出産では胞衣はどのようにして処理していたか」で“感染呪術としての性格”とあったのでWikipediaで「感染呪術」を検索すると、そこに“ホメオパシー”の文字が…
本に戻ります。

胞衣にまつわる伝承には感染呪術としての性格が顕著で、胞衣壺や胞衣桶などに入れて埋めたりするのは、胞衣が虫などに侵されて子供に害が及ぶのを防ぐという一面もあるのだろう。

とあります。
子供が病気になったりすると、その原因を胎盤の処理の悪さのせいにしたり、改めて埋め直すこともあったようで、お墓とは別にしたのは、この埋め直すためもあったのかな?
この本から、上記『埋甕』を知ったので、これから読んで次の展開を求めていきます。

ちょっと逸らしますが…実は今、読んだ本がみつからなくて、タイトルが思い出せなくて…検索したんだけどヒットしないんだから困っていますが、日本のお墓の民俗学のようなもので、それには流産、死産となった子供と胎盤(胞衣)の扱いが殆ど一緒だったとあったんです。
今はまだ頭の中でまとまっていないので、上手く表現出来ているか自分でもわからないんですが、死産した子供を埋めるのにあえてご先祖様の眠る墓地とは違うところに埋めていたという行為には、上記の埋め直すという行為のためなのかともおもうし、
“また無事に生まれて来て欲しい”
という願いもあったのではないかとおもうのです。
まぁ、昔は表面的には忌み嫌うものというのが強くあったのだろうから、色々な理由をつけられていたんだとおもうんだけど、でも普通に死者としての扱いをしなかったんだから、やっぱりそれには死産となった子供への愛情があってのことかとも…私はやっぱり現代人的なのかな?
私は琴子を死産というときに納骨しているのですが、そのときも普通に先祖代々のお墓に入れてもらっていたから別に埋めるっていうことも考えなかったんだけど、別にしていたというのを聞くと、どうしてなんだろうかとちょっと気になりました。

胎盤を食べることから離れちゃいましたが…
私もうさぎ林檎さん同様に、どれを読んでも“胎盤を食べる”という行為がない!
でも、以前にブログに東北のどこかだったとおもうんですが、今でも病院が遠くて助産師介助の自宅出産が普通で、そこでは胎盤を当たり前に食べるっていう義姉の話があったとかって…本当かな?!
本当に見当たらないですよ、なかなか食べるってない。



夏休み中には終わりそうもない…


●うさぎ林檎さん、私信です>かいつまんでってあるから、また詳細なのがくるのかしら?!なんて、ちょっとワクワクしてみてもいいですか?
mixi、始めてます!