【「安全」と「自然」について】−東京都立 多摩総合医療センター

昨日、ちー某さんが教えてくださいました、ちー某さん、有難うございます。

「安全」と「自然」について東京都立 多摩総合医療センター

「お産」は「自然」なものだから、何もしないで放っておけば生まれるもの、という考え方で、できるだけ医療的に手を下さないで分娩することを推奨している方達がいることを私たちは知っています。同じ現象について、どうしてここまで考え方ややり方が違うのか、と思われるかもしれません。自然なままで放っておくとどうなるか。

 世界の平均では250人に1人ですが、たとえば全く医療介入がないアフガニスタンでは、40〜50人に1人の母親が今もお産で命を落としています。(現在はもっとひどくなっていて8人に1人という説もあります。統計そのものが信頼できるものがありません。)新生児はもっと死んでいます。「お産で母児ともに死ぬ」ことは「当たり前」であるのが発展途上国の現実です。分娩の後遺症で苦しんでいる人も多くいます。これが「自然に生まれる」ということの事実です。

 日本ではどうかと言いますと、世界の母体死亡の平均である250人に1人という数字は、日本では、分娩前後に救命救急センターに入って治療を受けている母親の数字とほぼ同じです。つまり、日本でもお産で死にそうになっている母親は世界の平均位はいるのですが、高度の治療によって助かっているので、結果として2万人に1人の母体死亡という低い数字を達成しているのです。250人に1人は救命救急センターで治療を受けているといっても、その陰には救命救急センターに入るまでにはいかないけれど産婦人科病棟で治療されている人がたくさんいるのです。

 特に「周産期センター」でお産をしている方の40%位がハイリスク妊娠ですし、その数はどんどん増えており、小さい赤ちゃんが生まれる確率も年ごとに確実に高くなっています。体外受精で生まれてくる赤ちゃんは、今は100人に1〜2人ですがその割合もどんどん増えています。「お産の情景」そのものが昔とはまったく違ってきていますし、一人一人難しくなってきています。

 日本でも50年前には、250人に1人の母体死亡がありました。血のにじむような努力をして、母体死亡率を50年間で80分の1にしてきたのです。この数字は世界のトップクラスです。それでも0にはなりませんし、そんな国はありません。2万人に1人は母体死亡がありますが、実際に母体死亡があると、日本では稀なことなので、産婦人科医がミスをして死んだのだろうと、実際遺族に自宅に呼びつけられて、罵倒され、土下座をさせられた産婦人科医が少なからずいるのが現実です。そんな状態なので、現在も産科医はお産をやめていく人が後をたちません。マスコミの安易な姿勢の報道もあるので、「お産では死なないもの」という「神話」があり、医療側・患者さん側双方にとって不幸な時代となっています

 「お産」をめぐっていろいろな意見や方法があるのは、「正常に経過して正常に生まれる」お産を引き受けている産科医療施設(1次施設=助産院や診療所、帝王切開ができない施設もある)の考え方に焦点をあてて語るのか、「途中で異常になった時に引き受ける施設」(2次・3次施設=地域の基幹病院や大学病院、周産期センター)側の考え方に焦点をあてて考えるのかの差によります。日本では、お産の50%が1次施設で行われており、50%が病院ですが、この体制は世界でも珍しく、日本独特のものです。

 医療には、アクセス・コスト・クオリティの3つの問題があり、全てを満たす体制はない、ということが世界の常識ですが、日本独自の「産科医療体制」は完璧ではないにしても、ある程度3点を満たしている優れた体制です。身近にある診療所で患者さんの受診しやすさ(=アクセス)が確保され、「何かあったら救急車で2次3次医療機関へ送る」ということで医療の質(=クオリティ)が確保されています。受け入れる側の施設では医師の人数も必要ですし、設備も必要でお金(=コスト)がかかりますが、それも集中的に行うことで人件費・設備投資などが最低必要限度に抑えられます。

  今の「産科医療崩壊」は、この日本独特の優れた産科医療体制が機能しなくなっているからと考えられます。原因は、「受け入れる側」の問題としては、医師の待遇や労働条件のあまりの悪さのために、辞めていく医師が後を絶たないことです。また、共通の問題としては、患者側の要求(=ニーズ)があまりにも高すぎることと「お産では死なない」という神話のために、何かあったら医療側のミスに違いない、という誤解のために医療裁判が後を絶たないことがあります。また、診療所医師の高齢化にも関わらず、若手が育たずに世代交代がうまくいかず、1次医療側の産婦人科医も診療所を閉めお産をやめているからです。

 すべてのお産を病院で行っているスウェーデンであれば、1次施設側と2次・3次施設側での意見の違いは起こりえませんから、日本のように複雑な状態にはならないのかもしれません。1次医療側の意見はマスコミによく取り上げられていますので、誤解を生みやすいのかもしれません。ですが、自分の経験という狭い認識で全てのお産がそうであるように考えたり、異常になった時に2次3次医療機関に救急車で送ると、それ以後の経過について実際にはどういう経過をたどったかは、なかなかわかりにくくなってしまいます。ですので、真摯な態度で経過を見てゆかない限り、「お産の真実」はわかりません。すべての情報を提供することは大変なことですが、「受け入れる側の事実」が語られることが少なかったのも誤解を生んでしまうもとかもしれません。

 母親も赤ちゃんも目の前で死んでいってほしくない、という思いで、日本では、産婦人科医、小児科医と国が共同して安全なお産を求めて進めてきたのが現在の周産期医療体制です。そのためには最新の医療設備や器械も必要ですし、24時間365日緊張のもとに絶えず監視していなくては分娩の安全は保てません。

 「安全」か「自然」か、という二者択一で、どちらもという選択はありません。どこまでも母児の安全を追求していきついた結果が現在の方法です。この点につきご理解とご協力をしていただきたいと思います。すべてのお母さんが、元気な赤ちゃんを抱いて無事に退院していただきたい、というのが私たちの願いです。

※強調しているのは私、琴子の母です
いきなり余談かもしれませんが、私はオランダユレヒト大学での研究絡みで知ったのですが、「すべてのお産を病院で行っているスウェーデンであれば」…今まで自然出産万歳の支持者の多くは、オランダやアメリカでの助産師の活躍ばかりを強く語っていらっしゃって、病院しかない国の話はたまたま私が知る機会がなかった、出会わなかっただけなのかもしれませんが、しかし一般的にはあまり有名な話ではないようにおもっています。

私はこのようなメッセージを医師の方達が私たちに向けて発信してくださっていることに、とても感謝していますし、これから産む場所を選ぶ方達がこのようなメッセージに出会えることに羨望の眼差しです。生まれたときから先進国で、医療が当たり前にあるとそこに胡坐をかいてしまうようになってしまうかもしれません。妊娠や出産に憧れは必要ないとおもっています。そういうのは私のよな愚かな人間が抱くものであって、妊娠や出産は子孫繁栄の営み、子を無事に産むために親は最善を尽くすべきです。どうやって産むかではなくて、子供を無事に産むためには自分の憧れをも我慢できるかどうか。
「安全」か「自然」かで悩む私たちを、それこそ昔の女性がこれを知ったらどうおもうのでしょうか。