「言って」よりも「知って」

今年の2月22日に書いた「なんでそんなに医師がお産に介入するのがいやなのか?」にくださった御意見からまた考えさせて頂きます。

4月6日のぐーたんさんからの御意見

おそらく介入されたくない理由は、医者や看護師に心無い言葉を言われ、事務的という経験をし、尚且つ医療過誤の話を聞き、医療不信になっているからだと思います。

2人の友人が、NICU完備の総合病院の産科を選びました。

1人は破水して内診後「もう産まれそうですね」と言われ、何の説明もなく「会陰切開しますよ」。「いきんで!」「もっと!」と怒られながら、「お腹押しますよ!」とぐいぐい押される中での出産だったそうです。でも30分で出産し、母子ともに無事でした。

もう1人は24時間陣痛の後、促進剤を使って10時間後に出産、更に後産で胎盤がはがれず、処置中に血管が切れ出血多量で緊急オペになったそうです。危険でしたが何とか無事でした。

ただでさえ妊娠・出産の際に何か言われると「私が悪いの?」と思ってしまいがちなのに、出産のとき「もっと頑張って!」と叱責されると「頑張ってるわ!」と非常に傷つきますよね。後産も「いやー普通はああはならないんですけど」と言われて「私が悪いの?」と思ったそうです。

どちらも無事に産まれて良かったのですが、どちらも医師や看護師に不快な思いをしています。大病院は何百人という患者を抱えるので、多少事務的なのは仕方ありませんが、言い方や説明の仕方さえ考えれば全然違う印象だったと思います。

そこで「難産だったのは、促進剤とか使って無理に産んだから」「そのまま待っていれば子供の力で産まれたのに」と考える友人がいます。そういう友人は「助産院だったら、自然に産ませてくれるみたいよ」「家だからリラックスできるんだって」と言います。嫌な思いをした直後にそう言われて、「いやいや」と否定できる人は中々いないと思います。

本当は当然「たまたま無事だった」とか「緊急オペできない病院だったら、搬送中に出血多量で危なかったかも」とも考えるべきです。開業助産院や自宅主産のリスクヘッジ同様に、西洋医療においての心理サポート、説明責任の問題も重要視していただきたいと思います。


続いてsuzanさんの御意見

無事に生まれて、何をかいわんや、です。

無事に生まれる、以上のことがあるんでしょうか?
また、納得できなければ、医者に
あとでそういえばいいだけの話です。
きちんと主治医と話をする努力もしないで、あとで文句を言われても
医者も困ると思います。

それに何をいうにも「友人の話」です。
自分に不都合なことを、人間はいわないものです。
「病院でこんなひどい思いをした」という話をあとで
病院や、その患者さんの家族の話も含めて追跡すると、
ただ単なる思い込みで、医者もきちんと説明をし、
同席した(お産に立ち会った)家族も納得し、
本人だけが「自分はこうしたかった」「自分はこうされたくなかった」という
わがままなだけ、という場合がありました。

そういう意味では、ぐーたんさんも
ご自分の話でない、他人の話で
病院分娩を悪く言わないでほしい、
思い込まないでほしい、と強く希望いたします。


4月8日のsuzanさんからの御意見

今あらためてぐーたんさんのコメントを読むと、
やはり医師として、非常な無力感、脱力感、に陥ります。

通常のお産経過で、会陰切開をいれて間髪いれずに「もっとがんばって」「おなか押します」となることは
絶対にありません。
おそらく、心音が下がるかなにか、一時的にとても危険な状態になり
早く赤ちゃんを子宮の外に出さないとだめ、な状態だったと思います。
子宮をぐいぐい押すだけで、実は赤ちゃんにとっては大変な負担です。
会陰切開を入れるタイミングというのは、
実は、切れば一瞬にして赤ちゃんの頭が「めりっ」と母体の外に出る、タイミングなんです。

切ったあとで「もっといきんで!」「押します!」となるのは、
よっぽどせっぱつまった状況でしかありえません。
おなかを押すのも、まずいすなどを使って分娩台によじのぼり、
お母さんの顔をまたいで一人がおなかを押し、
もうひとり(たいていこっちが医者)が股で赤ちゃんの頭を引っ張るのです。
簡単なことじゃない、安易にできることじゃないんです。

そういう、明らかに危険な状況を無事に切り抜けて赤ちゃんが元気だったのね、と
医師である自分ならわかる状況なのに
「医師に不信感、不快な思い」といわれてしまうと…。

産婦人科医は、赤ちゃんが無事に生まれてしまうと
「ああよかった」としか思わないことが多いと思います。
危ない状況が1時間続いたならまだしも、一瞬の判断で
「会陰切開してクリステレル(おなかを押すこと)して分娩しないと危ない」と判断したら
熟練した産婦人科医なら本能的に反射的にからだが動きます。
「切りますよ!」と声はかけますが、母親と子供を救うため、と思えばこそ。
まさか、母親本人がこの危険な状況を全く理解できず
「不快だった、不信感を持った」とあとで言うなんて、思ってもみません。

説明説明といいますが、医者に対して過剰な期待をしてませんか?
「あのとくはどうして急に切開になっておなかを押したんですか?」
「待てなかった理由が知りたいです」とお産終わって落ち着いたあとでも、
場合によっては一ヶ月検診のときでも質問してもらったら、
医者は「あああのときはね、危なかったですよ、今は言えるけど」とか答えると思います。

「もっとがんばって」を相手を責めている、と解釈されるのも、思いがけないです。
人間は、究極の状態で「もっと」といわれると、本当に極限の力が出ます。
極限の力までいかないとお産は完了しない。
赤ちゃんの頭が出る、分娩の瞬間というものはまさに
生きるか死ぬか、極限状態です。
もっともっと、と力を出してこそ、医師の行う医療もいちばんいい効果を出せます。

それに、あえていいますが、
今にも赤ちゃんの頭が出る、という集中した瞬間に
「こんなにがんばっているのに傷ついた」とか考えることができるほど
余裕がある妊婦さんなんか、いないと思います。
いるとしたら、やっぱり「そんなことが考えられるくらい余裕がある」から
「もっとがんばれるはず、適当に力抜いている」ということになってしまいます。
必死できばっていたら、他のことなんか普通、考えられないのでは?

いろいろな意味で、ぐーたんさんのおっしゃる「友人」の話は
わたくしが少なくみても1万人以上たちあったお産するかたがたとは、
なんだか違う気がします。
何か、ぐーたんさんに言わないことがあると思います。
言わないことにはそれなりに理由があると思うので、
問い詰める必要はないけれど、ぐーたんさんが
「友人だから」というだけの理由で、病院分娩に悪い印象を書き連ねているのを、
どうしても見過ごすことができません。


4月11日のぐーたんさんの御意見

みなさん、こんにちわ。(長文すみません)

まず、私の説明不足・文章力の無さで誤解を与えているのかもしれませんが、私は病院分娩だけに偏って否定的な考えではありません。病院も助産院も肯定も否定もします。今回は否定的な部分だけを抜粋して上げたので、最後の方に「本来ならばたまたま無事、病院だから助かったとも考えるべき」と偏らないように反対の意見もあげたつもりでしたが、真意が伝わらなかったようで残念です。

また琴子さんの母さんのコメントにあった「産科崩壊を食い止める担い手」とは何の事でしょうか?助産師さんの事ですか?それは医師とは別物という認識です。子宮がん検診の話もありましたが、医師と同等の医療行為を現状の助産師・看護士さんが行う事を許可するのは本当にやめてほしいと思います。

次に説明不足と思われる面を補足させて下さい。

まず「なんでそんなに医師がお産に介入するのがいやなのか?」とありましたので「おそらく病院分娩を経験して医師に対して不信を抱いたからだと思います」とそういう人もいるという意味で答えたつもりです。もちろんそれが全てとは思いません。ここで問題になっている「自分だけでお産できる」とか「余計な手出しはしないで」など思っている人もいるでしょう。(私の周りにはいませんが)

本来は「私の友人に、医師がお産に介入するのに抵抗を持ってしまう人が存在します。その人は特に自然分娩至上主義からでは無く、病院分娩を経験して「その医師に」(医療にではありません)不快感を抱き、選択肢の一つとして次の出産は開業助産院を選択しました。このHPでは助産院が医療機関として捉えられる事の是非、自然分娩至上主義の危うさを熱心に啓蒙されていますが、そういう考えを全く持ってなくても、何らかの経験を通して医師に不信を抱いた事が医療や病院不信につながる場合もあるという問題も考えていただきたいと思います」というのがの私の意見の主旨です。

一方的に医者が悪い、または全て医者や病院が悪いなんて思いこんでいません。また医者が一生懸命やってないとも思っていません。

そもそもその話の発端は「(分娩に当たり)どの病院が良かった?」という良くある話からですが、私の地域は病院に恵まれており、総合病院も産科病院も助産院も近くに何軒もあり、初診で早い月数に行けば選べます。でも何軒か行ってから選ぶまではできないので、1か所狙いを絞って行きます。そのためのリサーチという感じです。

そこで色々な話がありましたが、そのうちの1人が総合病院Aを選んだけど、何の説明もなくいきなりお腹を押した。無事に生まれて良かった。でももし次もお腹を押される出産だとしても次は事前に声をかけてくれる先生の所で産みたいわ。という話です。

次の話も、そんな大変な状況で無事で良かった。でも産後次の日の検診で「なんで血管が切れたのですか?」と聞いたら「いやー普通はああはならないんですけどね・・・」で回診が終わってしまった。そして二度とその先生に会う事は無かったし、1か月以上してからそれは「特別な事だった」ともとれるけど「あなたの血管が普通じゃないから」とも取れるし、もやもやするわという話です。

なので、前者もお腹押されたという処置が不満なのでは無く、「今危ないので押しますよ」と「事前に言って」もらえなかった事が不満なのです。また出産の最中にお腹を押そうとしている先生に「何やっているのか説明して下さい!」とは言えないと思います。後者もどちらでもいいのではっきり原因を言えばお互いが納得した話だったのではないかと思ったので、「言い方や〜」と文章をつなげました。

suzanさんの1万人以上の患者さんは、皆さん満足されているかもしれませんが、別の場所には医師や(看護士・助産師も)のちょっとした事に不満を抱いている患者もいます。

「頑張って!」の話も、同じ頑張ってでも「もっと頑張って!(力入れてよ(怒))」とイライラしてそうに言われたいう人もいれば「ここがお母さんになる頑張りどころよ!(私はこう言われました)」と言われた人もいます。妊娠中・出産中ってナーバスなんだから、言う方も言い方考えれば?と思う、そう受け取るのはわがままなのでしょうか?

「後から言えばいいのに」ともありましたが、「私あの時すごい嫌でした。」と終わってから言うのは、クレームだし蒸し返すようでかなり抵抗があると思います。だったら深刻な状況でも無いし、どうせ二度と会わないし、ここは我慢して次の出産はここで産まなきゃいいやと思うと思います。(私たちの状況は、病院が選べるのでそう思うのかもしれませんが)

>他人の話で病院分娩を悪く言わないでほしい、思い込まないでほしい、と強く希望いたします。
>「友人だから」というだけの理由で、病院分娩に悪い印象を書き連ねているのを、どうしても見過ごすことができません。

とありますが、私は思いこんでもいませんが「言わないで・見過ごすわけにはいかない」とおっしゃるのはどういう意味なのでしょうか?「他人の話(伝聞・(自分で経験していない))だからダメ」なのか、「病院分娩に悪い印象を書いているからダメ」という意味なのでしょうか?病院分娩に悪い印象=病院分娩推奨とは反対意見は受け付けませんという主旨なのでしょうか?また文章から察するに「医者・医療のおかげで無事に産まれているんだから、それでいいでしょう。状況がわかりもしないのに文句言わないで」という事なのでしょうか?

そういった主旨のHPでしたら、主旨違いなのに書き込んだ事をお詫びします。

琴子さんの母さんの
>開業助産師の方とか支援、支持者がどう応えるのか、ですね、一番の問題は。そこに「そうよ、病院はとっても問題なのよ」と繋げてく人がいることが、問題なのでは?

友人の中に助産院や自然分娩礼賛、という人はいないんですよね。病院も問題じゃなくて、A病院の○先生は優しい、B病院は事務的、C病院は〜の中に、D助産院は「赤ちゃんと自分のペースで産めるよ」という人がいるのです。

もちろんそこでも「いやいや助産院って医療行為ができないんだから、病院とは違うでしょ。危なくない?」などの議論もでましたが、「その助産院は数回に1回は近くの総合病院で検診あるし、危なそうとなったらその総合病院に転院できるし、小さい病院でも同じ事があるんだから同じじゃない?」などと言われると判断が微妙になってしまうようです。結局「でも助産師は医者じゃないから怖い」という意見と「医者じゃなくても経験があるんだから大丈夫」という意見に分かれて終わりましたが。

因みに私も病院出産経験がありますが、大体満足しています。その満足の一つに「こういう場合は会陰切開、こういう場合は促進剤を使います。医療介入するその理由は・・」という説明がしつこいくらいあり、最後は聞きましたと書面にサインまでします。友人の中で「会陰切開って?」という話が出て「切らないで済むなら切りたくないけど、大体切っちゃうらしいよ」という人がいたので「私の先生が母子学級の時に、事前に切らないと逆に裂けちゃった場合後が大変だから切るって言ってたわよ」というと「そうなの?!」と驚いていました。私の先生は聞かなくても教えてくれました。
他にも、生活についてのリサーチ、またどういう状態になったら転院、緊急時の搬送先はどこ、など詳細で具体的な説明があり、とても良かったです。それでも私の病院も検診で待つ、費用が高いなどの理由で敬遠される場合もあります。

病院での出産で「心無い対応を受けた」という話は、私が琴子を出産する前から頼まなくても手に入ってくることでした。頼まなくてもというのは、探さなくてもとも言い換えられます。ちょっと数人集まれば、不満の比較が始まります。以前の私だったら「なんて酷い!」とおもって、伝聞の協力をしてしまっていたとおもいます。
琴子が死んでしまったことで、あれから8年経つわけですが、8年もかからずに知ったのが、あまりにも私たちが得ている情報は偏っていることと、あまりにも私たちが想像力に乏しいこと、そして「子供が無事であるということを当たり前におもって考えていること」でした。私はぐーたんさんのお話を読んでいて、あの頃の自分や、周囲の人たちと重なるばかりだし、そしてやはり、その話を聞く人たちの問題も感じました。

私は「妊婦様」になっている問題を感じました。どなたから?とかではないです。今回の皆さんの御意見からだけではないですが、たまたま今回、何故だか「なんでそんなに?」とおもったわけですが、ですから4月11日mayaさんの御意見

琴母さん、皆様、はじめまして。

ぐーたんさんのご友人と同じようなお産をしました。
助産師は怒鳴り、主治医も怒鳴り、助手の医師は私のお腹をぐいぐい押しました。
私は自分を繊細とは言えないまでも鈍感ではない人間だと思いますが、
まったく傷ついた記憶はありません。傷ついたのはエインが2箇所。
これだけ言ったりされたりするのは「ヤバイ状況だ」くらい事前に勉強(母親学級や本)でわかります。
「頑張ってるのに頑張ってなく思われるの?」なんて思う余裕はありません。
「絶対産んであげるからねっ」だけでした、分娩室では。

咄嗟の時に言いかたがどうのこうの、ずいぶん余裕のある話です。
分娩時にさえ、それだけの余裕があるなら、分娩前にも出産とはどういうものか勉強したらいい。
産科医療を崩壊させないために必要な努力は妊婦にも求められると思います。
医師が言い方を考えてて、その一瞬が赤ちゃんの命取りになっても、
ナーバスな母親に気を遣ってくれたことに感謝できるとは思えません。

に激しく同感します。特に私はリンズ出産時に会陰切開が必要となったときに「医療介入しますが、いいですか?」とわざわざ聞いてくれたことにかなり動揺しました。「そんなの、当たり前じゃないか!」とおもったんですよね、バースプランでも「必要なときには医療介入をして欲しい」とチェックしていたし。まぁ、まだ確認取れる余裕のある状態だったからなわけですが、これらもやはり琴子がきっかけで勉強していたからです。そう、私の場合はお恥ずかしいことに、勉強しておかないといけない無知だったんです。本来ならば、mayaさんのように当然におもえていたはずなんです。でも私は、子供が死ぬまでわからなかったんですね。そして、幸いにして子供が亡くならずに済んだ方で、私のようにわざわざ学ばないとわからないというタイプの方は、以降も分からないままでいることが多いということです。だから私も、母親学級の内容の見直しは強く要望します。そして、助産院で産もうと自宅出産で産むことを望む方にも、これらの基礎的な知識は得られるように、病院での母親学級への参加を義務化して欲しいです。行政に託してもいいかもしれませんが、行政も無知が災いして、とんでもない方を講師に呼ぶ例がありますので、講師の選択の際には“肩書きに騙されない”ようにして欲しいです。(母親学級だけでは間に合わないから、義務教育の中で医療の授業があって、きちんとした下地がきちんと作られているというのが理想だとおもいます)

もしもお友達が考え直すべきことを知らずに言ってしまっていたら、しょうこさん

ぐーたんさんが、再度このコメト欄に訪れて、suzanさんが書かれたことをそのお友達に教えてあげられる人であればいいなと願わずにおれません。ぐーたんさんのお友達が助産院で出産されていたら、子どもは亡くなっていたかもしれないのですから。それを救ってくださったお医者様たちに不信感を持ったままでこの先も感謝することなく生きていかれるのだとすれば、とても哀しいことです。

ふぃっしゅさん

是非、ご友人に、「NICU併設のハイリスク対応の病院で無事に出産できてよかったね。助産院とちがってハイリスクが多い病院だから医療介入の多いお産も多いし、イメージしていたお産にならなかったかもしれないけれど、きっと全力を尽くしてくれたんだと思うよ。説明が不足しているとかスタッフの対応で問題を感じたら、そういう大きな病院では意見書をだせるよ。また助産師もお産の振り返りに力を入れているので、話してみたらいいよ」と勧めてあげてみてください。

の御意見にあるように、私たちが伝えられる場面、知識(情報)があるということです。

友達との情報交換も原因の一つで死んだ、琴子のためにも言わせてください。私は助産師がどんなに懇切丁寧に説明するような人だったとしても、医師の説明が足りなくても後回しでも、琴子が生きてくれる方が良かった。多額な借金は難しいけど、値段よりも子供の無事を選ぶべきだった。それも、実際にはそんなに差がないわけだし。私がもしもぐーたんさんやお友達が集まる場所に居られる者だったのならば、一緒にお話するんですけどね。
あと、「病院でも死んでるよ」って言う方もいるけど、「最善を尽くしたか?」という十字架は一生、親を苦しめます。この十字架を背負う私には「助産院や自宅出産が子供の生命を救うために最善を尽くせる場所」とはおもえないんです。必死に務めている方には申し訳ないけど、「何かあったときには搬送します」ということは、何かあったときには子供には何もしてやれない場所だっていうことだとおもうのは、間違いでしょうか?