地蔵菩薩
琴子を失って、我が家には地蔵の本が増えた。
元々、木喰仏の本なんかは数冊あったのだけど、旦那が地蔵菩薩に想いを馳せるようになり、本屋に行っては新しい地蔵菩薩の本を買って帰ってきたので、私も読んでいた。
そのうちの1冊、ある本を読み、私は号泣してしまった。
京都のあるお寺には、普段は一般人が立ち入ること・見ることの出来ない地蔵菩薩が祀られている。
お寺のお墓場の一角に祀られたのを仕切ったため、一般人が立ち入ることの出来る、滅多にない貴重な日ともなると、お子さんを亡くされた方が大勢訪れ、顔や身体を撫でていくそうなのだ。
地蔵菩薩自体がそもそもが子を表しているのだが、ある程度の大きさの地蔵菩薩で、きちんと祀られているのはあまり多くはないので、それできっと大勢の親が訪れるのだろう。
ある夏の日、一般人が見ることの出来ない日の夜、地蔵菩薩の祀られている方の気配がなにやらおかしので、住職が調べに行くと、若い男女が地蔵菩薩の前で花火をしていた。
住職が問い詰めると、二人は夫婦で、子供を亡くしてしまい、一度も花火を見せることができなかったので、せめてお地蔵さんの前で花火をして、死んだ子供に見せてあげたかったのだと言ったそうだ。
それを聞いてから、このお地蔵さんは普段から一般公開され、いつでも拝むことができるようになったそうだ。
旦那も私も、この若い夫婦の気持ちが自分たちに重なり、いつかこの京都のお寺に行きたいと話した。
まだ実現できていないのだが、いつの日にか、きっとこの地蔵菩薩を訪ね、琴子のかわりに頭を撫で、背中を擦ってあげたい。
本が今すぐみつからず、京都のどこなのかなどの情報が伝えられないのだけど、みつかったらお知らせします。