ラオスの助産師
先日、縁あってラオス人の女性と出会いました。
彼女はKちゃんと言います。
ラオスで助産師の資格を持ち、日本の大学病院で現在、助産師の勉強をしています。
そして来年にはラオスに戻り、ラオスで助産師の仕事を続けるそうです。
通訳してくれる日本人男性を通じての会話でしたが、何故日本にきて勉強をしているのかを聞きました。
既にラオスでは助産師として活動できるのに、何故わざわざ日本にきてまた勉強するのかを知りたかったのです。
琴子の話をしました。
Kちゃんはあまり表情は変わることなく、むしろ通訳の人が驚いていて、また、一緒に会話していた他の日本人の方達も驚いていました。
ラオスでは、生まれても自ら泣かない赤ちゃんを助けることはないそうです。
「泣かないってことは、生きない・生きようとしていない」
という理由だからだそうです。
でも日本では救う。
救える命は救う。
それを学びに来ているのだそうです。
通訳の人に
「蘇生術を習うってこと?」
と聞いたら、Kちゃんのそれに対しての返答が上手く和訳できないらしく、
「泣かない子を助ける心とか…」
と、ちょっと解釈に努力の要ることを言われ、どう解釈して返答しようか、次のことを聞こうかとおもっているうちに、他の方との会話に花が咲き、私はそのままラオスの食文化の会話などに頷くだけになってしまいました。
Kちゃんが琴子の話を聞いてもあまり表情が変わらなかったのは、もしかしたらお国柄のせいなのかもしれません。
「泣かない子はそのまま…」
あくまでもKちゃんの言う、そして通訳の人の入ったラオスのお産事情を知りました。