琴子の写真

戸籍の件では、まだ法務局から連絡はない。

どうなったのか、琴子が生きている状態の戸籍は見たくてたまらなかったけど、死亡になったものを見たいわけもなく、その後、役場にも行っていない。


琴子の写真を、遺影として飾っている。

そこで毎日手をあわせているのだけど、全く成長しない琴子が愛しい。

リンズは日々成長し、生まれたてのときの面影もないくらいの表情を見せるときがある。

でも、琴子はいつでも生まれたてで、琴子の写真を見ると、頭の中ではあの“2005年8月31日”の曇り空の色合いまでもが甦る。

だからといって、泣いてばかりでもない。

私も随分と強くなったのだろうか。

でももし、同じ月日を過ごした天使ママさんが泣いてばかりだとしても、それも当然だとおもうし、否定する気持ちなんて全くない。

それを弱いと言うのかもしれないけど、弱くて当然だとおもう。

私だって、強くなったのは表面的なことだけで、こうやって琴子への気持ちを綴って、心を落ち着かせていることで、バランスを保っているんだろうなぁ。


琴子の遺影は既に死んでしまったと、H助産師にそう宣告されたあとに撮影したもの。

蘇生の間には撮ることなんて出来なかったからね。

2時間の命が戸籍に載せられたと言っても、その2時間の、琴子が生きている間の写真はない。

戸籍に載せられたことがとっても嬉しいけど、生きて生まれた琴子の写真がないことが心の中で強調され、少々辛い。

ただ、亡くなった直後の写真なので、まだふっくらとしていて、可愛いばかりの、まるで眠っているかのような顔の琴子だから、こんなことを説明しない限りは、まさか死んでいるなんておもわないだろうな。


贅沢を言ってはいけないってわかっているけど、どんどん言ってしまうなぁ。

でもどれも、戸籍の後は叶わないことばかり。

もしも、もしもサンタクロースがいるんだとしたら、大人にもプレゼントをくれるのなら、生きている間の琴子の写真が欲しいな。

子供にしかくれないって言ったら、リンズには私が何かを買ってあげるから、リンズの靴下に、琴子の写真を入れて欲しいな。