ただボヤク

今日はボヤキ。
ボヤキだから、言葉尻とらえず非礼は許して欲しいもんです。
まぁ、あんまりな失礼はないように注意しますが;;

先日の記事『家族で胎盤を食べることがブームになってきていますね』にご意見くださったうさぎ林檎さんA子さん立川さんへのレスも含めての今日です。

以前にうさぎ林檎さんが酔った勢い(^m^ )で買った本を覚えている方もいらっしゃるとおもいますが、それ、古本で買いました。
やっと。(だって、なかなか古本で出てこないんだもの…それなりに苦労しましたよ。結局、AMAZONで出ていたのを買いました)
で、読み始めました。
これ、私、読み終えられるかなぁ…なんかいちいち突っかかること書いてあって…読み終わったら突っ込むぞ!と心の中で拳を握り締めながら読んでいると疲れる為、なかなか次頁にいかんのです。
本当、問題が大きいよ。

色々と他にも助産院で扱っているという自然食品や健康器具のようなものを調べたりなんだりと、やらないといけないこともあるのに、そんな途中で胎盤を食べる、それも以前まではあまり堂々と語られなかった“家族で食べてます!”に引っ掛かってしまったわけです。
「(新生児の)お兄ちゃんも」
「(新生児の)お姉ちゃんも」
と、多分他の方も目にしているとおもいますが、冷凍庫にとっておいて、1年後に胎盤パーティをやるんだとか…
家族だけじゃないわけですね、友人知人まで招いてやったという話もありましたよね。
こういう話をネットの普及のおかげだからなんでしょうかね、軽いノリで書いている。
分娩は神聖な、神秘なものだとあげておいて、胎盤パーティ…ちょっとどうかとおもいますよ、この表現。
倫理的な問題ももっとされるべきだとおもいます。
私はこれはカニバリズムだとおもっています。
うさぎ林檎さんも書いていらっしゃるけど、

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やはりその行為が直接カニバリズムを想起させるからでしょう。私も正直謂って強い忌避感を感じました。出産が済んでご用済となり排出されたものとは謂え、それは母体の一部であり肉体であったのが事実だと思うからです
自分の体から切り離されたからとは謂え、手術等で切除した部位を食べるでしょうか?盲腸、胃、肝臓、腕、足どこでも良いですのですが、食べている自分(家族)を想像できません。

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には私も全く同感。
でもここで想像出来てしまうのが、
「自分の一部だったのだから、それは私の物。どうして人が文句をいうの?」
という声…
そして、
「昔の人は母体回復、母乳が沢山出るようにと食していた」
……昔って、いつ?
何時代?
私も『昔のお産は』って言ってしまっていたから同じなんだけど、その私が言いますよ、
ただ漠然と昔と言っていただけで、一体いつの頃の昔のことなのかさっぱり分からない
当時の私にも聞こえるように、声を大にしてみました。

どなたか教えてくださいませんか? 出来れば『昔の女性のお産は…』と“自然分娩を推奨している方”にお答えいただきたい。
開業助産師、お産のジャーナリストという方たちや、一般の人であれ、人を集めて自然分娩が良いとかなんだとかと言っている方たちならご存知なのではないかと、ご存知だから仰っているんですもんね?
昔、胎盤を食べていたというのはいつの時代のことなのか…

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会社の同僚で、17年程前(私が産休に入る直前に、産休から復帰した人だったので17年前だと思うのです)に助産院で産んで胎盤を食べたという人がいて、すごく熱心に勧められたのを覚えています。

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今回、A子さんのお話で知って驚いているのが、もう17年前には胎盤を食べるのが流行っていたのですね。
……で、周囲に置き換えて考えてみると、あぁと納得。
こちらの周囲の17年ほど前に出産されている方たちって、一部ですけど、結構コアな自然食好きの方たちがいて、その方たちと同世代かとおもうと、なんだか服装から何からとちょっと想像が出来るんですけど…
凄いコアなマクロビアンもいますが、この方達から私は胎盤を食べるという話を聞いたことがないのですが(機会もないというか、世代が違うため、あんまり出産の話にはならなくって、唯一、この世代の男性にH助産師を薦められていたわけですね)、ちょっと今度聞いてみようかな。
あー、でもそうですよね、私のH助産師も、私が琴子を出産する1日前に同助産所で出産した方が
「あの人はさっき、胎盤を食べたけど…」
というような話をしていたから、H助産師もきっとずっとそうやって食べさせていたり、もしくは望む方には協力したりしていたんだろうな。

前に自宅出産の水中出産でジェットバスを使って…それも使いまわしていてっていう話のときにも、その当事者と私とで厚労省に質問を送ったんだけど、未だに連絡ないし。
胎盤を食べていいかっていうのも聞いてみたいけど、返事なさそうだなぁ。
電話で聞くといいのかな?
あぁ、そうですよね、助産師会にも仙骨ショックのことを聞くって書いたっきりですよね(´ヘ`;)
こういうとき、“猫の手も借りたい”っていうけど、その猫が私より文字内が早くって頭がいいと良い。
ただ、以前にも助産師会に聞いて無視されたままのことはあるので、問題を想えばそれだけでも暗くなることだけど、余計に気持ちは暗くなりますよ、「きっとまた無視される」。

立川さんの一言
胎盤を食べるのは、動物が食べるからでしょう。
そういう人たちは動物の出産や育児をリスペクトしてますからね

は自分に恥じ入るばかりです。
だからこそ、その通りだとおもうんです。
でも、リスペクトは安易にしているだけで、その実態やむごさを知らない。
なんだか
あえて今、野生動物に戻ろうとする(出来る)自分て格好良い?
くらいの感覚があるのかな、“選民意識”っていうのは凄く当てはまることだとおもう。
自分の手にしている台本の主役は勿論、自分。
そこには子供はただの「登場人物;脇役」でしかなくて、台本には
「子供:無事に生まれる」
もしくはその前に一行
“分娩中に異変、しかし搬送されて”
があるかもしれないけど、とにかく無事に生まれるとしか想像されていない。
でも、事実は違う。
確かに確率からいえば、殆どの人のお産は病院であれ助産院であれ、無事に終わる。
でも、何処の誰が少数派に入るかなんてことは、誰にも分かっていない。
食事や体重管理、運動でどんなに安産を図っても、最悪母子共に亡くなってしまうことはある。
最初からもしくは途中からでも、既にハイリスクと分かっている方は別なんだから、順調にいっている誰にも、その突然の問題や異常は生じる可能性がある。
その突然の異常にいかにして対応出来るかが問題になることなのに、
「何かあったときには搬送します」
しか説明されていないけど、そこに私たちは信頼感を持ってしまう。
現況、搬送がそう簡単にはなされていないということを真剣に考えないままに。

胎盤を食べる動物は、ペットは別だけど、あぁでもペットだって、自ら病院に行こうとなんてしないよね。
琴子は人間としての扱いはなく、動物としての扱いで死んでいったのだとおもうとやりきれなくなる。
それは私自身も知らなかったとはいえ、聞こえの良い情報に安易に流れていったという愚かさもあるから、余計にやりきれなくなる。

こう嘆き合う助産院や自宅出産での事故被害者(こう表現してもいいですよね?)同志haccaさんが、仙骨ショックや胎盤食の記事を読んで、
仙骨ショックや胎盤を食べる・・・なにをお呑気な、っておもいますよね。
安全に生まれること、あかちゃんを抱っこして育てられること、それだけでしょうにね。

お産は食事をしたりトイレに行ったりお風呂に入ったり眠ったり、そういうことと同列の危険から遠いものっていう意識は浸透しきっていますね。
そう煽っている人たちの目的はなんだろう??』
と仰った。
本当です。
でも、そういうことと同列とした挙句、産んだ後は今度は2週間は寝たまま(左右脇両方の体温が同じになるまでとか)でトイレにすらいってはならず、排泄物の処理も他人に任せるようにと…

私が知る限りの“自然万歳”なる分娩は、菜食主義もしくは玄米食や運動の管理、ホメオパシー等を用いた生活のうえに薪割って、『臨月になったら高尾山を登り』、『臨月に仙骨ショックを受け』て、分娩後は胎盤を食べてから両脇の体温が左右一致するまでは動かない。
なんか書いていて、大人が真剣に語り合うべきことかと疑問におもった。(今更だけど…)
あぁ、無介助分娩もあったか…

ボヤクって、こんなに長い?
これだって、まだボヤキ足りていない。

最後にこれだけ。
琴子と同じ2003年に空(宇宙)に行ったはやぶさは、色々な困難を越えて、無事に還ってきた。
カプセルが無事に日本に到着した。
あのカプセルを開けた時に、そこに7歳になった琴子がいたらな…赤ちゃんのままでもいいから、琴子がいたらなって。
関係者の方たちは驚いたりがっくりしたりするだろうけど、私的には最高に嬉しいんだけどな。

はやぶさの話は琴子の成長を聞く様で、悲しい気持ちをどこかに抱きつつ、微笑んでしまいます。
おかえりなさい。