「お腹を押す」こと

当ブログ、私たちが子どもの死を無駄にしないために!のコメント欄、りかさんの自宅出産の助産師の判断についてくださるみなさまのご意見、先日も『トイレで分娩させるようなことを危険であるとわかっていながら』でも書きましたが、助産院や自宅出産を選択、経験した私たちにとって、衝撃的な内容が続いているとおもうんです。
トイレで息むことが比較的、当たり前のように行われているとおもいます。本当にトイレで最後まで産むというより、“なかなか進まないときに、促進させるためにトイレで息む=座って息みやすくする”という感じが多いとおもいます。りかさんのときも、きっとこのような考え方から行われたこともあるのではないかとおもいます(私の推測です)。私自身、そうでした。それについては先日も書きましたが、助産師自身が全く問題視している様子はなかったです。また、漫画家の方たちが自分の出産を題材にするときにも、トイレで息んだという経験談を描かれていることもあります。
「トイレで息もうとすることに疑問」というご意見がありますが、「不衛生」「新生児が陶製の便器に当たったらどうするの?」というのは正直にいうと、全く考え付かないことでした(私に限ったことかもしれません)。なんで全くおもわなかったのだろうかというと、まず、「陶器に当たったら」というのは、そんな最後まで出産をトイレで完遂させようとはおもっていなかったんです。先ほども言いましたが、促進させたいときの一手みたいな感じです。
不衛生という問題については、今の私ならおもいます。ただ、当時は「出す」という行為に対して、「入ってくる」問題が結びつかなかったようにおもいます。おもいつかなかったから仕方ないとはおもっていません。そういう自分を後悔と反省、そして琴子への懺悔の気持ちで一杯です。

さて、トイレで息むから、今度はお腹を押す、ということへ議論が進んでいます。これも、衝撃です。でも実は、お腹を押すということのリスクを過去にも当ブログではして頂いている記憶がありますし、その度に私もこの話をしているとおもうのですが、琴子を出産する際に、助産師自らが琴子の父親である夫に、「お腹を押して」と指令し、夫は訳わからずにおして、「そんな押し方じゃない!」と言って、でもそれも酷いですよね、分かるはずがない。1回、2回とかと数えられるような状態じゃなかったですよ。琴子は頭が最後でしたから、琴子の顔があったかもしれない部分を必死に夫は押していたわけで、それを想うと本当に辛いです。でも、こうやって私の出来事一つにしても、助産師がお腹を押すということを簡単にしていい行為とおもっているように感じることが出来ます。

考えさせられます。

ご意見は変わらずこちらへ

私もりかさんの母子ともにご無事なご出産を心より、祈っております。