「経膣分娩」と「自然分娩」

Facebookで知った「自然分娩」と努力至上主義という記事(元記事は「政治学に関係するものらしきもの」を読みました。私は帝王切開への偏見を持っていました(過去形ですよ)。琴子を産む前のことですが、「不要なのに切りたがる」という意見がどこからともなく刷り込まれていたのです。今回の記事のお話に出てくる姑発言も、今でもこの手の話は聞きますから、帝王切開を「楽なお産」だとおもっている人はまだまだいるんですよね。
以前に「主婦が数人集まると、出産の武勇伝(もちろん、母子は無事)を語る」と、何故そのようにしていかにして大変だったかとか、出産について語るのかについてある女性が放った、「平凡な女の唯一のドラマ」というのはその通りにおもいます。(まぁ、平凡な人生はベターとも言えるんですけどね。ベストは、人を傷つけないことなんですよね)
「自然分娩」というのは、「経膣分娩」ではないのか? とおもえば、「経膣自然分娩」とまでありまして、どうなんですか? これ、会陰切開とかも更に線引きとして何かあるのかとおもうと、実はこだわりはないようで、「経膣」であれば、「自然分娩」になるっていうわけですね。って、なんか復習した感じ。

以前に、「自然分娩」という言葉を使うことすら辞めてほしいと望んだことがありますが、なんで「経膣分娩」をわざわざ別の言い方にしたのか? 「経膣分娩」と「帝王切開」が並べば、なんとなくなのかもしれないけれども、それは出産の方法について並んでいるっていう程度に思えるのに、「自然分娩」と「帝王切開」が並んでいたら? まるで敵対するもののようにおもいませんか? 

「自然分娩」って言葉がそもそもの問題って気がしているわけです。