無介助分娩の危険性を伝えて欲しい

ある新聞社(当然、朝日新聞以外です)の記者の方に朝日新聞の無介助分娩記事の件を伝え、無介助分娩の危険性を伝える記事を書いてもらえないのかとお願いしたところ、伝聞以外での実例を聞ける方を紹介して欲しいと言われました。実例があれば、記事に出来る可能性があるということです。
ここで妙なのが、この記者の方には日本テレビの例の件でも連絡してあって、そのときに日本助産師会に取材をかけたそうです。しかし助産師会は「報告はない」というようなことを言ったそうなんですけど、事故の例ではないとしても、確か言ってましたよね、助産師も急に呼ばれて立会いさせられて、ある意味被害者だって…なんでそういう話をして記事にしてもらおう、無介助分娩は危険だということをもっと皆に知って貰おうと、そうおもわないのだろうか。
で、まぁもうこんなことを日本助産師会に言っていても仕方ないようなので、新聞社の記者の方にお話くださる方がいらしたら、是非お願いしたいんです。まずは私の方に個メール(kotoko_831@infoseek.jp)で連絡頂き(その際私には実名は伏せてくださって構いません、取材時にはお名前等を頂くことになる(記者の方へ)のですが、記事になる際には匿名は大丈夫ということです)、新聞社の記者の方と直接連絡とって頂けるようにします。
私がこういうことを声を掛けるべき立場にあるのか、出過ぎた真似するようでお恥ずかしいのですが、もしもご協力頂ける方がいらしたらとおもってお願いすることとしました。
どうぞ宜しくお願いいたします。

無介助分娩の浸透

ここのことは以前にも当ブログで話したとおもいますが、既にツアーは始まってしまっていますね…
一足遅かったけど、まだ間に合うこともあるので、日本助産師会に先程、無介助分娩の講演会が行われていると通報しました。

竹炭職人キム氏のいのち輝く2010 ツアー日程

「私たちは、生きているだけで、最高に輝いている」
第一子を夫婦二人で自力出産。
人間の可能性を確かめたかったから。

とありますが、自力出産というのは、無介助分娩と解釈して問題ないでしょう、プライベート出産だとかと形容が様々ですが、助産師すら呼ばないということですもんね。なので、日本助産師会が先日の日テレのときに「助産師会では無介助分娩の講演会などがあると分かったらすぐに行って、注意したりしている(が、すぐに逃げられてなかなか出来ない)」と仰っていたので、通報しました。是非注意に行ってほしいのですが、中には吉村医院で出産した方も協力しているようですし、日本助産師会の対応がどのようになるのか、来週には連絡をもらえるということです。しかし、対応が確実にあるかは分からないと電話に出られた方は仰っていました。
このようなかたちで無介助分娩を美化して人に薦めるのは、あまりにも無責任な行為です。炭のこと、食事のことと、色々な内容を織り交ぜてとしていますが、やはり一番最初にこのことを語っている以上は、それを他に言い換えたとしても、無介助分娩を薦めることが最大の目的とみておかしくないとおもいます。無介助分娩をやめてくれと活動をしている日本助産師会(と表現しても問題ないですよね?)は、吉村医院に好意的です。皮肉なもんで、その吉村医院で分娩した方が、無介助分娩を薦めるツアーに参加しているのです。これは、やはりお産を軽視している結果だとおもいます。

親が自分の人間の可能性を確かめるためにお産をする? 本当に呆れます。出産は子供を欲しいと願う人間の、子孫繁栄の営みではないのでしょうか。

無介助分娩の新聞記事

この連休、実家に帰省していました。中日新聞で無介助分娩について記事が出たとコメント欄で教えていただき(アツキさん、有難うございます)、

も拝読。

中日新聞無介助分娩は危険 日本助産師会が警告魚拓

 日本助産師会は「医師や助産師の介助なしに、夫婦だけで出産する無介助分娩が、あたかも自然な出産であるかのように吹聴されるケースが見受けられる」と、事故の危険性を強調している。

 同会によると、無介助分娩の問題が出てきたのは一九九九年。大阪府の育児文化研究所が、医師や助産師の関与を排除した家庭出産を奨励し、同研究所の勧める「二十四時間ぶろ」で生まれた赤ちゃんがレジオネラ菌に感染死する事故があり、社会問題になった。その後も無介助分娩を勧める動きはしばしば見られ、本も出版された。

いきなりなんなんですが、日本助産師会は“「医師や助産師の介助なしに、夫婦だけで出産する無介助分娩が、あたかも自然な出産であるかのように吹聴されるケースが見受けられる」”というけど、「医師の介助(医療の介入)無しに、更に医療を否定的に捉える助産師の姿勢」から作られた自然分娩の果てが無介助分娩ではないかという疑問があることを自覚する必要もあるとおもっています。
本の出版の問題は、自然出産やフリースタイル分娩等で、助産師会も推し進める動きや書籍類にもあるとおもっています。

 今年八月末、民放局の人気チャリティー番組で、無介助の自宅出産が紹介されるという情報が同会に寄せられたため、テレビ局に配慮を求めるとともに、一般向けの警告を出したという。

 同会の岡本喜代子専務理事は「番組ではテロップを流して危険性を呼び掛けるなどの配慮はしてくれたが、影響力が大きいので、こうした放送は今後やめてほしいと申し入れた」と話す。番組で紹介された女性は八人目の出産で、これまでも自宅で産んできたという。「出産回数の多い人は、出血が多くて母体に危険が及ぶ場合もある」と岡本専務理事。テレビ局は「番組の内容については答えられない」とコメントしている。

この番組での放送内容の問題で、折角最初に“大阪府の育児文化研究所が、医師や助産師の関与を排除した家庭出産を奨励し、同研究所の勧める「二十四時間ぶろ」で生まれた赤ちゃんがレジオネラ菌に感染死する事故があり”と触れているのだから、「二十四時間ぶろ」ではないにしろ、自宅のお風呂での水中出産をしていたということも危険な行為だという警鐘も鳴らしてほしかったです。実際に助産師介助の自宅出産をしている方で、水中出産をしている方は結構多いです。それはどうやら、助産師にも水中出産のリスクの認識があまりないからのようです。助産師の勧める水中出産、不衛生な内容をよく聞きますし、また助産所であっても、私と琴子のように、助産師の自宅も兼ねていて、家族風呂がそのまま産婦の使うお風呂でもあって、垢の浮いた湯船に一度、陣痛を促進させるからと言われて入りましたから…浮いている垢をみて、無知の塊だったさすがの私でさえ、すぐに上がりました。


帝王切開だけを否定するのではなく、病院で産むことが既に間違ったことだという思想を何処かで作ってしまった。それは

「自然なお産」志向は、それに反発する形で広まってきた

としているけど、病院に反発する勢いを加速させた人たちがいて、それが何処に通じたかといえば、助産所や自宅出産だったのではないでしょうか。助産所や自宅出産の宣伝文句に医療を批判するものが多くあった。
過剰な医療介入は私も不要におもうけど、「病院で産むこと自体が問題」と謳う方達の存在・問題をもっと追求して欲しいです。

しかしなんですね、無介助分娩をこうやって記事にしてくれる新聞社があった!というだけでも素直に喜ぶべきですね。
ということで、大変長い前置きになってしまいましたが、中日新聞さん、これからも関連記事を是非お願いします!(以前に自宅出産を推奨した記事掲載のときは残念でしたが…って、しつこい?!)

反医療、自然出産の覚悟が出来ているという方へ

日付が変わりましたね、琴子の生まれた日になりました。
でもまだ生まれていません。
7年前の11時過ぎに生まれました。
そして、午後には死んでしまいました。
だからまだおめでとうでもないし、死んでしまった時を迎えて詫びるのには早いのです。

こういうことを話すと、自然出産を薦めたいだけの方からは
「あなたはまだ子供の死を受け入れられていない、可哀相な人だ」
と優しい言葉で罵られます。
でも他所で話しているのを見ていると、病院で無事に生まれた母子に「きっと暴力的なお産だったでしょ? 酷いお産だったでしょ?」と近付いている様子ばかりです。
おかしいですね。
子供が死んでしまうことよりも、私を待たせるなんてふざけてる、私を一番大事にしてくれなかった!というようなこと(ですよね?)の方が大事だなんて、おかしいですよね?


無介助分娩の問題により、多くの方のご意見を目にする機会に恵まれました。
からしてみると、無介助分娩は一部の助産師の方たちやそれらを持ち上げて商売にしている、自然出産を推奨していた方たち(時には医師もいますね…、助産師会だってそうだ)にも大きな責任があるとおもっています。
これだけお産を軽視するようになったのは、「女性には産む力がある」「病院で生まれ、管理された子供は可哀相」などとさんざん言ってきたからでしょう。
医療の発展に胡坐をかいて、言いたい放題だった。
無介助分娩はそこら辺の意識が大きく手伝って、一気に浸透したんじゃないでしょうかね。
そりゃそうですよ、「助産師はただ見守るだけ」とかって言っていましたよね?
だったら助産師だっていらないよ!ってなりますよ、そりゃなります。
これは当然の結果ともおもっています。


先日、当ブログで医師のお二方のお言葉から
自宅出産のリスクの説明
を紹介させて頂きました。
自宅出産を計画されている方にはこれでも届かないんだろうなぁ。
自宅出産のお風呂で水中出産は危険ですよ、これは介助する助産師の指導の責任は否めないでしょう。
以前に当ブログでも産褥熱でお話しましたし、
うろうろドクターさんのブログうろうろドクターから「水中出産か…orz
skyteamさんのブログ東京日和@元勤務医の日々から「自宅分娩に水中分娩☆マスコミさんは責任とりませんヨ
他にも危険を教えてくれるサイト、ブログは沢山あります。
助産師介助であっても、自宅出産の衛生面は管理され難いために無法地帯のようなもんです。


産む前に、本気で子供が死んでも構わないっておもうんですか?
理解出来ない。
私はそんな風にはおもっていませんでしたよ。
助産院で子供が死んだ私でさえ、そんな風におもっていませんでした。
助産師を信じていたのと、当時は全くといって良いほど称賛以外の情報がなかったこともあって、私は愚かで気付けずにいて、医療から遠退くお産がどれだけ危険なのかをわからずにいた。
だから、子供が死んでしまうなんて想像していませんでした。


では、ここから先は『自分が自宅出産をしたいのだから、きっとお腹の中の子供もそうおもっているんだ。そして、私や子供が死んでもそれは仕方のないことだ』という覚悟をされている方に読んで欲しくて書きます。
反医療、自然出産の覚悟が出来ているという方への私信です。

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亡くなっても赤ちゃんはいつまでも柔らかい、ふわふわとしたお人形さんのような赤ちゃんのままだとおもっています?
現実は物凄く残酷ですよ。
もっと説明したいけど、倫理的にアウトと言われるかもしれないから簡単にしか言えないんですけどね、ぎゅっとしぼんだ感じになってしまいます。
天使ちゃんの家に行くと、温かいときの顔は皆違うんだけど、時間が経ってからの写真を見ると、不思議と皆同じ顔になっています。
これは大人の死と大きく違うところかなっておもうんですよ。
大人というか、ある程度生きた方だと表情の記憶もあるせいか、それぞれの顔でお骨になっていきますけど、赤ちゃんは不思議と同じような顔でお骨になるようですね。
地蔵尊が子供からっていうのはわかりますよ、その通りです。


私が琴子の遺体を前に「いつまでもここに寝かせていたい」とこぼしたら、真面目な顔して親族や葬儀屋さんから「腐ってしまうから、置けて3日」と言われました。
おかしいですか?
そうですね、ちょっとおかしかったのかもしれませんね。
でも天使ママの一人の方にこの話をしたら「その気持ちを理解できるのは私たちだけなんだろうね、私も剥製にしてでも手元に置きたいとおもった」と話してくれました。
私も全く同じにおもっていたんです。

火葬場の申し込みをする際に、幼い子供ほどなるべく午前中に予約を入れるようにするそうです。
何故かわかります?
数名の方をお骨にした後だと熱が残っていて、あっという間に燃えてしまって骨も残らないからだそうです。
琴子のときは夏で暑いからドライアイスを使っても3日間しか待てないと言われ、更に火葬場は既に予約で午後しか空いていないと言われ、火葬場の方が気を遣ってくださり、なんとかお骨は拾えましたが、この先の記憶が曖昧なんです。
確かにお骨を拾わせてもらいました、琴子は私たちの勝手で死んでしまったので、決して親不孝ではないので拾いましたけど、棺の中の琴子に最後のお別れをした記憶はあるんですけど、お骨がどんな風だったかを思い出せない。
あぁ、火葬場の煙突から上がる煙を見て、駆けつけてくれた知人が
「煙になってお空に向かっているんだね」
って優しく言ってくれたのを思い出しました。
しかし全く嬉しくなかったですよ。
煙は不幸の色そのものでした。
「もう二度と会えない」ということを確信させられました。
これで剥製にも出来なくなった。

あなたたちが迎えるかもしれないのは、こういうことでもあるんです。
まぁ、倫理的に無理なこともありますので、全然優しい想像の範囲です。
もっと沢山書いたんですけど、ちょっときついかなっておもって削除しました。

どうかカッコイイことのような想像をしないでください。
自分の理想を追うことが正しいなんておもわないで欲しい。
「医療は不自然で子供が死ぬ方が自然−私はそれを受け入れる覚悟がある」ということは、自分がいかに子供に対して残酷なことを言っているのか…でもきっと届かないのだろうなぁ。


では質問。
なんのために産むのですか?

もしかして、妊婦という特別な日々を求めていただけではないですか?
自分の人生最高の一時と言われそうな妊娠生活の最後を飾るのが、『ちょっと先行く(?)やってみたいお産』なだけではないですか?
だから「お産で終わっても仕方ない」=「子供が自然の中で死んでも仕方ない」って仰るのではないですか?
でも本来、お産は新しい家族を迎えるための始まりではないのですか?
100%の安全と無事はどの施設でも保障されません、それは残念ですが事実です。
でも、子供が無事に生まれるために最善を尽くすという意味では、施設で大きく差が生じます。
母子の安全を第一にして頑張っている助産師の方には申し訳ないことだけど、やはりすぐに帝王切開が出来ないとか、心音が下がってきて子供が異常を訴えていることに気が付く術がない、救いを求める子供にすぐに医療の処置が出来ないと言うのは死や障碍へのリスクが高くなるんです、それを認めない「助産院や自宅で産む方が安全だ」というような助産師ならば、かなり問題の多い助産しだとおもいますよ。
多分、あなたにするべき説明をしていないのではないかな?
VK2シロップもそうですよ、「飲ませないでも大丈夫だけど」というような説明ならば、それは先にあなたを洗脳しているだけなんです。

自分のやりたいお産のためなら子供が死んでも仕方ないというような意味合いを言うなんて、私には理解出来ません。
自宅出産を選ぶにしても、「子供が死ぬことも覚悟している」なんて決して言ってはならない言葉です。
お腹の中で子供に先天性の異常がみつかって、生まれても数時間で亡くなると宣告された親でさえ、子供には少しでも長く生きていて欲しいと願いながら産むというのに…信じられない。

きっと子供になにかあったら言われますよ、あなたに自然出産を薦めた方達から「子供が選んだ結果なんだ」って。
でも違うでしょ? あなた達は先に「自然の中でなら子供が死んでも構わない、何かあってもそれは子供も選んだことなんだ」という選択をしているんですから、その子が選んでいるわけではないのですよ。
ごまかしです。
子供に押し付けているんです、親達の勝手を。
更に言えば、もう自己責任ですよ、ここまできたら完全にその域に入っています。
確かに、説明責任を果たしていない無責任な助産師はまだいます、ホメオパシーなどにしたって今のような在り方ならば、反医療の意識から完全に離脱できるとはおもえない。
病院や薬を否定して成り立っているのが現在の助産院(自宅出産)ですから、国家資格を持つ助産師が持つべき責任は重いです。
でも、あれだけ必死に「きちんと解答してくれ、納得出来る説明をしてくれ」という方達の声にも上辺の言葉でしか答えられず、「覚悟している」の一点張りならば、もう十分にそれは自己責任ですよ。
(でも、そうやって自己責任の結果を生む意図ある方達もいるわけですから、問題は複雑で根深いのだと痛感します)



子供だけじゃない、母体にも同じです。
子供が生まれたら、子供は母親を必要にしてくれます。
だから医師たちは必死に母体も救おうとしてくれます。
でも、あなたは「自然の中なら死んでも仕方ない」と言う。
申し訳ないけど、この発言は親としての発言とはおもえないです。
きっと最善を尽くされた中でも亡くなってしまった母親達は、少しでも子供の成長を見届けたかったとおもっていたでしょうし、子供だって心にどれだけの傷を負うか…



産み方は生き方ではないし、自分らしいお産とは本来、母親らしく子供の無事を祈ることだとおもいます。
きっと、昔の女性達は子供の無事を祈って、そしてそれに答えたのが医療だったのだとおもいます。
その医療でさえ救えない命がある…だからって医療から遠退くのは間違っているんです、助かる可能性があっても、遠退くことで救える命でさえ亡くしてしまうのです。
お産で満足するとかしないとか、子供が無事でなければそんなのはなんの意味もない。



今日は少し書き過ぎましたかね。
他所で書くよりも、琴子にも聞いて欲しい話だったのでここに書きました。

明日からまた、コツコツとブログ運営をしていきます。


母子共にご無事であるように祈っております。

寛大になる必要はあるのだろうか

日本テレビでの無介助分娩、頻産婦の自宅出産を承知の上で好意的に24時間テレビ内で扱うということで、今先ほど予定とされていた時刻より30分ほど遅れての放送となりました。
聞くに地域によって違うとか?
関西の方からは「違う内容だ」という連絡ですから、どういう条件での放送になったのかはわかりませんが、私はあのような内容ならば、どうしてもあの方たちを『大家族の感動、子供達が両親の代わりに働いてプレゼントをあげて有難う』で紹介する必要があるというのならば、分娩後の写真をわざわざ紹介する必要はなかったとおもいます。
無介助分娩、頻産婦の自宅出産という問題を知っての判断なのですから、いくらテロップがついたとはいえ、私自身は寛大になる気持ちはもてません。
放映前に社会的問題を知っての上での判断だということを忘れてはいけないとおもいます。
局側が持たないでいい意地を持ったのではないでしょうか。

まだまだ十分、見直せた内容だとおもいます。
あの微妙な“自宅で水中出産”にも問題意識の低さは感じます。
水中出産の写真とテロップがなくてもよかったのではないでしょうか。


追記;
会場に家族全員揃っての生中継の際に、殆ど自由にコメントすることなく終わったのには安堵しました。
その点はきっとかなり配慮してのこととおもいました。


追記2;
水中出産についても是非>うろうろドクターさんのブログ『水中出産か…orz

その放送ちょっと待った!!の気配…

先日「無介助分娩、頻産婦の自宅出産の放映が見直されました」とお伝えしましたが、これは番組制作会社からの連絡を日本助産師会が受けて…のことで、聞いたところだと

出産シーンをなくした→無介助分娩をしていることは放送されない(更に頻産婦は助産院、自宅出産での分娩は危険が高いことから助産所業務ガイドラインによって禁止しているので、これらを視聴者に誤解させない内容となる)

と聞いていたのだけど、
『この番組に出演予定の父親の方が「番組をみれば自分達が出産で病院に駆け込むことも、病院で出産することもほぼ99%有り得ないことがわかる」というようなことを言っているよ』
というご連絡が…


一応、その内容を確認にmixiのコミュニティに行きましたら、確かにありました...
テレビをみたらわかるってことは、やっぱりそういう番組なんだろうか...
書き込みの日付は8月28日ですので、番組制作会社の意向は伝わっているのだとおもうのだけど、その意向がやっぱり間違ったままなのだろうか。

まぁ、内容を見直すということに対して心底の安心と100%の期待なんてしていませんでしたが、一気に元の気持ちに戻りましたよ。
この発言では、やっぱり自己主張はしますよって感じありますから。


だから私は言ったんですよ、某局の記者に「無介助分娩の危険(迷惑)と頻産婦がハイリスクだということを29日より前にやらないと意味がない」って。
先に刷り込まれた情報の方が、視聴者の多くは正しいっておもいこむって。
この問題をわかっていたんだから、それでも番組の放映を待つなんてことをするのは、『お祭り騒ぎの視聴率稼ぎ』でしかない。
日本テレビのことを絡めなくたって、「無介助分娩というのがプライベート出産だとかと言葉を変えて流行っているらしい」「多産は安産だとおもいがちだが、実際には助産師立会いの助産院や自宅出産でさえ取り扱ってはいけないお産だということ」を伝えることは出来たはずでしょ?

親の思想で分娩方法、施設に固執するのは胎児虐待となり得るっていうことを7年前の今日にでも知っていたら、きっと琴子は生きていたでしょう。
そしてその思想を作っているのはこういう視聴率を優先した提供者と甘い話しかしない人たちでもあり、更に「幸せな私を僻んでいるんでしょ?」としか聞けない私たちが王道を歩く限り、自分の子どもじゃないだけで、どこかで子供は同じようにして死ぬし、育てる母親も死ぬだろう。

番組を見るまではわからない、確かにわからない。
だからまだ少しだけ期待して、あの発言が制作会社の意向を理解出来ないで言っただけだと信じるように明日を待つ。

無介助分娩、頻産婦の自宅出産の放映が見直されました

先ほど、助産師会の方から電話がありました。
日本テレビ24時間テレビ内で予定されていた無介助分娩(及び頻産婦の自宅出産)の制作会社から連絡があり、内容が見直され、出産に関する内容は放送しないことになったそうです。
あくまでも出産シーンをなくすことと、無介助分娩と頻産婦の自宅出産(助産院でもダメ)への誤解を招くような内容はなくすということです。
全く扱わなくなるということではないそうなので(私はどなたかのブログで「急遽、芸能人のカラオケ大会でもいいじゃないか」に激しく頷いています)、予定通り生放送はあるのかもしれませんが、無介助分娩の危険性と、頻産婦がハイリスクになるということを理解して判断となった経緯をおもうと、多分念入りに打ち合わせと台本を作ってくれると信じています。
助産師会の方と私で対話した結果からいうと、

無介助分娩と頻産婦の自宅出産を理想とするような内容は排除する

ということです。

尚、今回の判断に至った経緯は、大勢の方からの貴重なご意見の力だそうです!!
助産師会も同じですが、修正された内容しか目にすることは出来ませんので、推測ということでしか語れませんが、やはり当初は無介助分娩や頻産婦のハイリスクを知らないで制作していた、そのまま放送されていたらかなり困る内容だったようです。

とりあえず良かった。

今回の件でまた沢山のことを学びました。
そして無介助分娩と頻産婦のハイリスクについても、まだまだ学んでいきたいとおもいます。
また、企業にメールされたり、医師の方たちは学会に連絡されたりと、母子の安全と周産期医療の崩壊を食い止めるために動くことの大きな意味や、その姿勢からも沢山学ばせて頂きました。


ブログや個メールでご意見やご助言くださり、そして励ましてくださった皆様に感謝しております。


いろんな問題をおもうと100%安心とはいえないけど、でもそれでもとっても良かった。

追伸;
日本助産師会から出されている警告文の脱字も含め、修正をして、もっと私たちに届きやすい、目にしやすいところに表示を本日中にするということです