危機感のない助産師−自宅出産、女児死亡 Vol.2

前回のhaccaさんのお話にご意見くださった皆様、有難うございます。
皆さんのご意見からも多くを考えさせてもらいました。
ご意見に対してはhaccaさんご自身がレスを付けてくださっていますので、私からはこちらで別として書かせてもらおうとおもった次第です。

助産院や自宅出産で生じた事故、悲惨な結果を、“病院であれば100%防げたか?”と聞かれたら、
『100%防げたとはいえない』
と、私もそう答えます。
このことは、声にして伝えていかないといけないことだと感じます。
ただ、
『だったら病院も、助産院や自宅出産も同じだ』
とはなりません。
やっぱり違うんです。
何が違うか…搬送の問題もあります。
でもそれよりももっと違うことがあるんです。
“異常を疑う姿勢”が違うんだとおもうのです。

「女性には本来、自然に産む力が備わっている」というのを、多分皆さんも他で目にされたり、耳にされたりしているとおもいます。
“産む力”といわれたりして、そのためにも食事に運動と、妊婦自身が努力しないといけないとし、助産師はその力を引き出すように協力(教育)し、見守り、寄り添うというような表現も多く目にします。

haccaさんからご連絡を頂き、初めてお話を伺ったときからずっとおもっているのが、
「どうして当の助産師は、“異常かもしれない”とおもうことがなかったのだろうか」
ということです。
私が調べる限り、頻産婦(5回目以上)の方は自宅出産を選べないはずなんです。


(社)日本助産師会より『全国助産所一覧』から

特に、逆子(骨盤位)、前回帝王切開(以前に帝王切開の手術を受けたことのある方)頻産婦(5回目以上のお産の方)等の場合は、一つ間違えば母子共の生命にかかわる危険が伴います。こういった方々には、緊急時に直ぐに対応可能な病院でのご出産をおすすめしています。費用やケアの内容についても、納得してご利用ください。


haccaさんが頻産婦だから剥離になったのではないかと言い切ることが出来ないことも承知しています。
一体何が原因で剥離(あくまでも可能性が高いということで、剥離だったと断定は出来ませんが)になってしまったのかもわかりません。
しかし、頻産婦はハイリスクの扱いになるということは、それだけ“何かが起こり易い”と警戒しておくべき対象者であったはずなのではないでしょうか。
助産師会がそうしているのに、自宅出産を請け負う助産師の意識がそれ以下であるというのは問題ではないのでしょうか。
何故、途中で異常かもしれないと疑う気持ちを微塵にもおもわなかったのか。
異常かもしれないとおもって慎重になることは、それほど恥ずかしいことなのでしょうか。

しかしこれには、私たち“お願いする側”の姿勢の問題もあります。
私たちが子供を失って初めて知ることなのかもしれません。
『慎重にやって、結果的になんともなかった(=助産師の判断で病院に搬送し、病院で分娩したら異常はなく、陣痛が今までよりも激しかった)』という結果だった場合、
「あの助産師はすぐに病院に搬送する」
というような批評をして、それを良しとしないのかもしれません。
自分自身のことも含め、“経験からしか知識は生まれない”ということの通りだとおもっています。
でもだからこそ、『慎重過ぎて構わないのだ』ということを、この痛みをもって訴えることが重要なんだとおもっています。

「些細なことでも搬送していたら、助産院や自宅出産の意味がなくなるではないか」と仰る助産師の方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、やはり大事なのは結果だとおもいます。
どうしても子どもは死んでしまうのだとしても、親としては
『生まれてこようとしている我が子に対し、最善を尽くしたのか』
という想いが一生残ります。
助産師の方が異常を疑い、病院に搬送してくれたけど、それでも亡くなってしまった…それはそれで辛いままのことはあります、子どもを失った辛さは同じです。
でも、haccaさんのお話の助産師は、私から見たら
『最善を尽くした』
には程遠い。
そもそも頻産婦を慣れ合いで請け負う段階で、最善を尽くしていません。
「今までは自宅で良かったけど、6人目からは病院で産んでください」
と言わないのは無責任です。

産む側が助産師に対し、慎重過ぎる慎重さと緊張感を求めていくことも大事なのだとおもいます。
慎重になってもらうためには、助産師が最初から妙なプライドを持たないようにしないといけないとおもっています。
それには、私たちが先に変わるほうが早いようにおもいます。
私たちが一番に求めるものは子供の無事だと、出来れば私たち自身も無事であれば尚のこと嬉しいとおもえるようにならないといけないのだとおもいます。

助産院や自宅出産が抱える問題を、これから分娩する場所と選択する方にはしっかりと知って欲しいです。
搬送にどのくらいの時間がかかるのかも含め、
「何かあったら搬送するから」
の言葉が全く真実味を帯びていない現実を知って欲しいです。

助産師の方、もしも本当に『自然に産む力が備わっているのだから』と仰るのならば、助産師の存在する理由は何なのでしょうか−それは“異常を見抜くため”ではないのでしょうか。
100%確実だとか的中しなくちゃいけないとは言いません、ただ私はhaccaさんの場合は頻産婦であるということ(本当は受けてはいけないことだったのですよね?)からしても、疑うべき状態だったとおもえて、残念で仕方がありません。

haccaさんの件では、この後の助産師の対応でも多くの問題を感じています。
それについてはまた後述します。
今はただ、
『私たちも変わるから、勉強するから、だからお願いします、助産師の方はもっともっと慎重になってください』
と言うばかりです。
そして、自己責任論だけで片付けないで欲しいです。
私たちも勉強はします、でも、まともな情報を得難い現在、その勉強内容が必ずしも正しい内容だとは限らないです。
目の前の助産師がプロとして頻産婦の危険性を述べてくれないならば、自分がどれほど無茶をしようとしているのかさえ分からないです。
信頼している助産師がリスクについて語らない、触れないのならば、自分にリスクがないとおもってしまうのは当然ではないでしょうか。