無介助分娩からの緊急搬送

mixiで無介助分娩にてテレビ出演の当事者の方に、危険な行為だということを伝えている方たちのご意見には、私も多くを学ばせて頂いております。
個メールでくださる方のご意見には
「無介助分娩がどのように危険なのか、一般人には想像が出来ないのではないか」
というのもあり、助産師会にまずはどのように危険なのかを具体的に伝えてくれないかとお願いはしたのですが、
“正常なお産しか扱えないので、異常の話をする立場にはない”
ということで、緊急搬送を受け入れている施設にお勤めの方たちに伺うのが正しいのだなとおもっていたら、mixiに僻地の産科医さんが実態を話してくださっていました。
僻地の産科医さんにご快諾頂き、当ブログでも紹介させて頂くこととなりました。
僻地の産科医さん、有難うございます。

一つ目は、9人目の自宅出産。
お父さんも付合う予定でしたが、陣痛が早くて間に合わず、
(生めば生むほど陣痛時間は短くなります)
仕方なく小学生のお姉ちゃんが赤ちゃんを取り上げようとがんばり、
受け止めそこなったために新生児が床にしたたかに頭を打ち、
頭蓋骨骨折と脳内出血でNICUからついに出てこれなかった症例です。
そのおねえちゃんの心の傷は生涯どんなだろうと、私たちは話し合ったものです。

後のお話ですと、お風呂場のタイルの上でのことだったそうです。
ここで一つ挙がるべき問題が、【出産に子供を立ち会わせることのリスク】です。
無介助分娩の場合、最初のお子さんのときには勿論夫婦二人きりですが、二人目以降はお子さんも立ち会うわけで、これは助産院や助産師立会いの自宅出産でも“売り”にしていること。
病院でも、希望があれば姉兄の立会いを認めているところがあります。
でも、以前にこの姉兄の立会いが後に子供に悪い影響を残すこともあるという意見を目にしたこともあります。
後でまた別記事として改めますが、出産で苦しむ母親を見て、妊娠と出産を恐怖の対象としてみるようになってしまうとか、原因はそういうところにあったようにおもいます。
ここら辺も、出産をする前に上のお子さんがいる方はよくご検討された方が良いことだとおもいます。

さて本題。
このようなケースは実は、助産師を頼んでいた自宅出産の方からも聞きます。
助産師を呼んで待っていたけど間に合わず、旦那さんが子供を受け止めて無事だったけど、旦那さんは二度と自宅出産はしないと宣言したという話は実際に本人から聞いたことがあります(お子さんは幸い無事)。
「病院で産む人だって、間に合わないことはあるだろ?」
という声もありそうですが、病院に行こうとしている方…というか、医療を否定していない方であれば、上の子にタオルを広げさせて「ほら手伝って!」とする前に、救急車を呼ぶなり、分娩施設へ行こうとするはずです。
その意志、姿勢はとても大事ですよね。
仮にその意志、姿勢があってもお子さんのその後の人生に障碍が残る、最悪亡くなってしまうとなった場合でも、“最善を尽くそうとした”という気持ちがあるかないかは関わった方全ての方の後の人生をも変えることだとおもいます。
そしてこのお話の場合、生まれてきたお子さんはNICUから出てこれなかったということは、死を意味しているのだとおもいます。
お姉ちゃんが泣いてお母さんが痛みに暴れて上手く受け止められなかったという説明を後で聞いていますので、このお姉ちゃんにとって、本当に苦しい結果を強いられたとおもいます。

二つ目。こちらはもっと悲惨というよりあまりにも不勉強・不始末でした。
検診も受けず、勉強もせず、夫が臍帯を結ばずにそのまま切り、
病院に運ばれてきたときには赤ちゃんは失血死で事切れていました。

もう言葉にならない。
じゃぁどうしたら助かったのか…それを私は書きたくない。
それを「そうすりゃいいのか」と、更なる無介助分娩を産むような気がするから。
実際、そのための講演会みたいなのもやっているみたいですよね、組織的になっているみたい。
まぁ、mixiのコミュでも多くの問題発言を目にしていますから、そのような組織は実在するのだろうと容易に想像出来ます。

本当はもっとあるのですが、今日はここまでにします。
無知なだけで勉強せずに真似する方々が出てこないことを祈って、
テレビでの放映だけは中止していただきたいと思っているだけです。

私も中止して欲しいです。
でもそれは表現の自由だとか言論の自由だとか、そういう“自由”を盾にされて叶わないこととなるのでしょうが、私には理解出来ない、これらを少しでも理解しようとする方たちの言葉の中に、

「子供が無事に生まれてくることだけを祈る」

というのが全くない。
そして、子供が死んでしまうことも覚悟していると平然と言う人までいる。
冗談じゃない、自分の死を覚悟するのは勝手だが、どうして子供の死を勝手に覚悟しているのか。
子供が死んでもいいのなら、なんで妊娠するのだろう。


無介助分娩は違法ではないというのはわかっているけど、急変を装って出張助産師に連絡して、駆けつけた助産師が立ち会ったとして出生届けを円滑に出せるようにした人たちに違法性はないのか、疑問に感じることは多くある。
また、助産師会の方が言うのには「助産師が急に呼びつけられて駆けつけ(それまでは無介助分娩を強行)、そこから緊急搬送となった例に最悪な結果はないようだが…」と、実際に無介助分娩からの緊急搬送があるということ、そしてその場合の状態がいかにして最悪であるか、その犠牲を誰が払っているのかを、もっと知っていかないといけないとおもいました。
誰かが救急車を一台使えば、その分誰かがその一台の搬送の終わりを待たないといけない。
やって来た救急車がすぐに受け入れ先をみつけられるわけではない−こんなことを話しても、「だから病院には頼らないって」と言うのだろうな。

生きていればどうしたって人を頼るのに、どうしてお産だけは人に頼らずってなるんだろう。
私は琴子が畳の上で死んで、リンズを妊娠したときに病院の助産師に「帝王切開にすぐに出来るように、手術台の上で分娩できないんですか?」と質問した。
なんてバカな母親だっておもわれるかもしれないけど、多分、昔の母親達の多くがそう願ったから、病院での出産が選ばれていったんだとおもう。
「それは出来ないけど、なにかあったらすぐに手術室に搬送できますからね」
と、どの通路を通っていくのかまで説明してくれた助産師さんのあのときの申し訳なさそうな顔を思い出す。
病院で産むことが依存的だというが、子供の無事を一番に祈ることを誰が否定できるのだろう。