最悪なる「親の自由」 ※12/21修正あり

移動中です。ツイッターでとおもったけど、やっぱりこっちに。

タレントの方が二人目のお子さんをVBACで出産され、無事だったということでご自身のブログに最初の医師からは否定され、VBACを受けてくれる医師との出会いや自分の決意を報告している、そこに寄せられているコメントには「自分も知っていればしたかった」「自分も次はVBACを希望したい」等で賑わってしまっていて怖いものがあると連絡を頂きました。私はここにはあえてそのURLは張りませんが、検索されればすぐにその内容をご覧いただけるとおもいます。

VBACは率先して取り入れていたアメリカでは今では既に禁止されています禁止の方向*1にあります。何故ならば、子宮破裂となってしまう結果が多かったからです、出先故に数字で書けません、後記します。日本ではこれらの情報が私達一般人になかなか伝えられていません。ここにも問題があるとおもいます。私はもう2年くらい前になるとおもいます、医師Xさんから伺っていました。私は帝王切開をして子供を分娩された方がマイナス思考になることに疑問がある方ですから、VBACは日本でも全面的に禁止するべきではないかとおもっています。精神面での問題だけではなく、母体、母子共のリスクも考えての意見です。
日本でもまだ実践している医師、病院もあるのは事実ですが、このように公に立つ人がブログで書くことの影響力や責任を考えても、そこまで含めたリスクの説明を担当医の方はするべきだったとわたしはおもいました。

次はこのタレントの方と、同調されている女性に訴えたいことです。
VBACは結局、医師や医療があるから大丈夫というわけですか? でもそれって、いざとなったら医療に頼るってことでしょ? 矛盾しているんですよ、結局は。だったら最初から医療に頼ったお産で構わないじゃないですか。何を否定してVBACを選ぶんですか? VBACはただの挑戦です。
それも、自分の死ぬ覚悟は当然なんでしょうけど、子供も死ぬかもしれないということも覚悟しての挑戦です。なんでここまで自然分娩にこだわるんですか?
矛盾なんです。「自分は死ぬかもしれないことを承知して、覚悟して出産しました、そして無事でした」がカッコイイ? 素晴らしい? 私には恐ろしいまでの胎児虐待だとおもいます。無介助分娩に朝日新聞が市民権を与えたたときに、比較的多くの方が「出産方法を選ぶのは親の自由だが」というようなことを前置きにつけていらしたけど、私にはそれも恐ろしい、間違ったことだとおもいます。だったら出生後の子供への虐待も「育児、躾の仕方は親の自由だけど」になってしまいませんかね? あー、実際にそうなってしまっているから、子供が死ぬまで見過ごしていないといけない状態が実態なんですよね…
「リスクを承知しても自分がしたかった、その分娩方法を選びました」は、本来は恥ずかしくて人に言えないはずのことです。私は時々言葉にさせていただいていますが、私がこうやって琴子の母として存在しているのは、恥なんです。私は本当は、琴子を病院で分娩するべきだったのです。帝王切開を選択するべきだったんです。

出産方法で子供の人生は変わりません。親が育児放棄の理由を探しているようなもんです。VBACで子宮破裂し、奥さんを亡くされた方のサイトもあります(「赤い風船」で検索してください)。
子供の無事と子供が一番欲する母親の命を尊重した上での帝王切開という出産を、まるで出産での負け組のように扱うのはもううんざり。帝王切開した方たちが「出産後もお産を振り返ると嫌になる」と話すのも、私はとっても残念におもっています。

出産は母子共に安全であることを一番に優先しなくてはならないのです。
リスクを承知してVBACを選んだということは、子供が死ぬこともきちんと理解してのことという、私には恐ろしい話でしかありませんでした。それを称える無知さは、琴子を死なせた私がまだまだ存在しているということです。

*1:私の記憶の間違いでした、申し訳ありません。以後、気をつけます