私たちが子どもの死を無駄にしないために!

りかさんのお話は、りかさんの決心がつくまで記事には出来ない約束になっています(コメント欄に書かれたものでも今は記事にしないでというご意見です)。ですから、改めて今、りかさんのお話を記事にすることは私には出来ません。なんのことだかわからないと思われる方もいらっしゃるとおもいますが、こうやって記事にすることひとつとっても、皆さんには理解し難い苦悩があるのが、子どもの死を抱えた親の日々だとおもってください。ですから今回の記事によって、「詳しく教えて」は禁止です。すみませんが、約束の上でお付き合いください。

今回不思議ちゃんさんがブログ内にりかさん宛にくださって、その中に『これから妊娠・出産する多くの女性がこの琴母さんのブログを読んで、妊娠・出産について勉強されるだろうと思いますので、敢えてコメントさせていただきます』とあり、りかさんの詳細は触れずにそのご意見だけ、これから産む方に読んで頂けたらと思った次第です。
不思議ちゃんさん、有難うございます。

はじめまして、りかさん。
私は地方の周産期センターに勤務する医師です。
以前、あなたはYahoo知恵袋に投稿されていましたね。あなたが投稿された分娩時のエピソードがあまりに酷いものだったので、ずっと私の記憶に残っていました。既に、コメントが締られていたので、あなたの投稿した内容に対してコメントをすることができませんでした。
今回、あなたの分娩時の管理に関して周産期を専門としている立場からコメントをした場合、あなたが再び後悔の念に苛まれるかもしれないと思いコメントをするべきか迷いました。しかし、これから妊娠・出産する多くの女性がこの琴母さんのブログを読んで、妊娠・出産について勉強されるだろうと思いますので、敢えてコメントさせていただきます。
私自身は、産科医師、助産師、看護師に関わらず、周産期に関わる医療従事者の使命は妊娠・出産において母子の命を守ることであり、母子の命を守るために最大限の努力をすべき責任があると考えています。
ですから、職業に付随する使命と責任が果たされていたか、最大限の努力がなされていたかに関して専門的な立場から考察してみたいと思います。
その前に分娩というものは胎児にとってどのようなものなのか、胎児生理学的に簡単に説明させていただきます。子宮の中にいる赤ちゃんは我々の様に肺で呼吸をしてガス交換(酸素を取り入れて二酸化炭素を排出する)を行うことができません。また、我々の様に口から食べ物を摂取して自分自身の栄養とすることができません。耳にしたことがあるかもしれませんが、子宮の中にいる赤ちゃんはお母さんから酸素や栄養をもらっているのです。しかし、「お母さんから酸素や栄養をもらっているのです。」と聞いて「ああ、そうか」と思われるかもしれませんが、実際、どのような仕組みで栄養や酸素を取り入れているのかご存知でしょうか?
まず、子宮の中には胎盤というものがあります。この胎盤にはお母さんからの酸素と栄養を含んだ血液と、赤ちゃんからの二酸化炭素と老廃物を含んだ血液が流れ込んでいます。赤ちゃんと胎盤の間は臍帯でつながっており、この臍帯の中には臍帯動脈と臍帯静脈という血管があり赤ちゃんの血液が流れています。すなわち、赤ちゃんは臍帯と胎盤を介してお母さんの血液に含まれる酸素と栄養を自分の血液に取り込み、さらに自分の血液の中に含まれる老廃物と二酸化炭素をお母さんの血液の中に捨てているのです。
さらに胎盤に流れ込むお母さんの血液は、子宮(という筋肉でできた組織)を貫く子宮動脈の中を流れています。では、子宮という筋肉が収縮すると子宮を貫く子宮動脈はどうなるでしょうか?容易に想像できると思いますが、子宮筋が収縮している間は、子宮動脈はつぶれて血流が一過性に止まってしまいます。すなわち、子宮が収縮している間は、お母さんからの酸素や栄養の供給が一過性にストップしてしまうのです。結果、胎児は軽度の低酸素状態に置かれることになります。そもそも分娩の過程においては、子宮内の胎児を押し出すために子宮筋は何度も何度も繰り返し収縮します。結果、胎児は繰り返し軽度の低酸素刺激(ストレス)を受けることになります。たいていの胎児には予備能力があり、分娩のあいだの繰り返される低酸素刺激に対して耐えられるようになっています。しかしながら、予備能力がない場合、詳しく言うと、胎盤機能が低下し酸素や栄養を自分の血液に十分に取り込めないような赤ちゃんの場合、繰り返される低酸素刺激に対して耐えられずに子宮の中で亡くなってしまうことがあります。陣痛が始まる前は子宮収縮というストレスがかかっていませんから、赤ちゃんが分娩に耐えられるかどうかは前もってわかりません。すなわち、いくら正常妊娠経過であったとしても、陣痛が始まる前のストレスのない時期に、胎児が分娩に耐えられるか否かを予測することは原則的にはできないのです。
ですから、ほとんどの産婦人科では陣痛が開始した後は胎児心拍数モニタリングを行い、胎児が分娩に耐えられる状態か否かの観察と評価を行っていきます。そして、赤ちゃんが分娩に耐えられないような状態であれば、帝王切開で赤ちゃんを出してあげることになります。陣痛開始後に胎児心拍数モニタリングを連続的に行うべきか、それとも断続的に行っても良いのかについては、分娩第1期の胎児の状態や施設間によって異なります。しかしながら、子宮口が全開大した分娩第2期以降は連続して行うべきとされています。ACOG(アメリ産婦人科学会)の勧告では、Low risk妊娠であっても、分娩第1期は30分毎に、分娩第2期は15分毎に胎児心拍数モニタリングの評価(=胎児の健康状態の評価)を行うべきとしています。同じく、胎児の状態を評価する手段として間欠的聴診法というものがあります。これは、胎児心拍数モニタリングが開発されていない時代に行われていたもので、トラウベという聴診器を使って母体の腹壁から赤ちゃんの心音を聴取するものです。この方法の欠点としては、胎児の心拍数の低下に対して、問題のない心拍数の低下か、それとも危険な心拍数の低下かの判断ができないことにあります。しかも連続的かつ経時的な観察ができないので、胎児の元気がなくなってきているのか否かの評価もできません。最悪の場合、次に聴診をした時には胎児の心拍は止まっていたということもあります。さらに、機械ではなく個人による聴診という方法なので、主観的な要素が含まれる危険性は否定できません。
胎児心拍数モニタリングの機器は高価なので(とは言っても、児の命を考えると安いものですが)、ほとんどの産婦人科にはあると思いますが、助産院ではこの機器を置いていないところもあると思います。
しかしながら、ガイドラインでは胎児心拍数モニタリングもしくは聴診法で胎児の評価を行うべきとされています。
さて、長くなりましたが、以上を前提として、りかさんの分娩を扱った助産師が母児の命を守るために最善の努力を行っていたか検証したいと思います。

1. 予定日について:42週0日の過期産で出産されたということですが、予定日の決定方法は正確だったのでしょうか?基本的に42週を過ぎると胎盤機能が著しく低下し、胎内死亡の確率が上昇します。従って、助産所では過期産を扱ってはいけないということになっています。ですから、予定日の決定方法が正確でないと実際の週数より若く週数を算定し、知らず知らずのうちに赤ちゃんが危険な状態になっていることがあります。42週になった場合の分娩について、助産師と嘱託医はどのような取り決めを行っていたのでしょうか?
2. 遷延分娩について:6月24日に陣痛が発来して、その後、6月28日になっても分娩が終了していません。日本産婦人科学会では陣痛開始後、30時間以上経過しても分娩にならない分娩進行の異常を遷延分娩と定義しています。陣痛が発来して児を娩出するまでの平均所要時間は12〜15.5時間(日本人初産婦)となっていますので、明らかに正常分娩経過から外れています。通常、このような異常事態に至れば原因の検索を行い、微弱陣痛であれば陣痛促進剤を使用し、それでも分娩が進行しなければ帝王切開で児を娩出します。りかさんの場合、分娩進行異常に対する評価・原因検索が全くされていません。そもそも分娩進行異常に関する知識や認識はあったのでしょうか?
3. 胎児の状態の評価について:りかさんを看ていた助産師は嘱託医へ連れて行かなかった理由の一つに胎児の心拍が正常であったことを挙げていますが、どのような方法、間隔で胎児の心拍の評価を行っていましたか。胎児の心拍数が正常であったことを客観的に証明できるものは残っていますか?「助産師2人は、疲れて別室で寝ていましたよ」というところから推察するに、まともに胎児の評価を行っていたとは到底思えません。それ以前に、胎児の状態を評価しようという意思があるとは思えません。母児の命を守るべき使命と責任をどのように感じていたのでしょうか?

りかさんを看ていた助産師は分娩を便秘を治すのと同じ感覚で扱っていたとしか思われません。命を扱っている職業に伴う使命感・責任感が感じられません。これが病院で起こったとすれば、必ず訴訟になり、100%病院側は負けます。そして、場合によっては1億円近い賠償金額となります。
りかさん、専門的な立場から言わせてもらうと、りかさんを看ていた助産師が行った行為は完全にguiltyです。宗教団体にだまされて親族を亡くした人と大差ありません。

私たちがこういう貴重なご意見に、子どもを亡くす前に何故出会えなかったのか。
子どもを産む、命を託す場所の選択をする際に、“女性には産む力がある”と信じ、子どものストレスを理解してあげるべき立場の人さえも無視している、軽視している問題を知ることが出来なかったのか。

私もね、私も思い出しますし、辛いです。琴子も足から無理に出されて苦しんだのだとおもいます。
琴子の抱えるストレスを、私はちっとも理解していなかったし、知らなかった。でももっと怖いのが、あの世界で仮に子どものストレスを使って説明したとして、知ったとして、洗脳され始めた私たちがそこで「子どもを死なせてしまうかもしれない」という恐怖をどれだけ理解できたか? きっと、「そのストレスを感じるのも○○のせいです」と、適当に理由付られてしまっていれば、無知なんだから信じちゃうんです、それでも子どものストレスや命の尊さを軽視してしまう可能性は否めない(自覚がない・出来ないという問題)。
しかし、本当に問題なのは、専門家であるはずの助産師に、その軽視している事実があるっていうことです。そしてそれが、分娩進行中でも変わらないってことです。


あと、私がりかさんの助産師や運命論をかざしてくる方に言いたいのは、
「運命に逆らってでも子どもを生かしたい、死なせたくないとおもうのが親です」。


不思議ちゃんさんのお話について、開業助産師の方はどうおもわれますかね、伺いたいです。