私たちが理解できないだろう、子どもの死から知ったこと

青雪さんからのコメントにもありますが、Facebookで一般人の方が10人目のおこさんの無介助で自宅のお風呂での出産シーンの動画を流しています。
青雪さんへのレスでも書きましたが、丁度、今日の午前中に教えてくださっていた方がいて、私もどうしたらいいものかとおもっておりました。
賛同している方の多さというのも呆れますが、あれは「あえて少数派に味方する」ような、そういうのを美学とおもっちゃっている人の多さを表しているような気もして、底の浅いものには感じました。ですが、やはりそれなりの影響にはなるでしょうね。動画を流しているご本人もそこを狙っているのだから、結局、子どもは親の優越感を満たすための道具でしかない、ということでしょう。(友達に見せたいという友人に頼まれて、という説明がありましたが、それはSNSを使わないでもできること)
SNSやネットだと、特にもともとの関係があってないようなものだから、それぞれの賛辞は責任感の伴わないものと理解しつつも、そうも思えずに「素晴らしいものだ」と思い込んじゃう人もいますから。

以前から、マスコミの方や、マスコミにコネクションを持つ方に無介助分娩について取り扱ってくれないか、というお願いをしていますが、「刺激性がないとできない」という理由があるようで、かなっていません。この「刺激性」が厄介者で、今回の方に「テレビには出ないのですか?」というような書き込みをしている人がいて、なんか嫌な雰囲気...なんといってもテレビには前例がありますからね>寛大になる必要はあるのだろうか
無介助分娩の問題を知らない方には「幸福感に満たされる刺激」とおもってしまうので、好意的に扱う番組がこれから出てくる可能性は大きい。
マスコミは警察を批判する際に「警察は人が死なないと動かない」って言うんですけど、それはマスコミも同じでしょ? って思っている次第です。


件の方が無介助分娩を選択している理由は、医療批判からと解釈して間違いないようです。もう何度も申していますが、このような方たちのしている医療批判は実体験が伴っているようでいて、しかし、よく聞く話でもあり、それは開業助産師の方の多くがされている宣伝や説明の内容と酷似しているわけです。年末年始やお休みのときの出生率が低いのは...とか、あたかも自分で気がついちゃった! みたいな感じがありますが、テレビや書籍などでさんざんやっていた病院、医療へのネガティブキャンペーンからの影響だってあるでしょう、テレビを見ていなくたって、似たような人たちがちょっと集まれば「そうそう、私もそう思った!」といった感じで、「なかなか気がつけない真理に気がつけちゃった私たち」のやりとりの定番です。

日本助産師会は「警告!! 専門家が立ち会わない無介助分娩は危険です!!」と、その危険性を訴えています。
今回の方は要約すると「母親の凄さを知るため・発揮するためには助産師すら要らない」と言っています。
反りがあっていないようですが、一部とはいえ、助産師や専門家の方たちの中には「女性には産む力が備わっている」と言って、医療の介入を否定している声がありましたから、私からしたら、まだまだ同じ類。救急車を呼べば大丈夫、というのが安易な考え方だというのであるならば、助産院や自宅出産で「何かあったら搬送するから大丈夫」は安易ということになるけど、かといって、日本助産師会がそのような注意をしているとも思えない。
再三申していますが、「自然に産む力がある」と言われれば、助産師だって要らないことになるのです。その要らない助産師にウン十万円払うのであるならば、夫婦だけ、家族だけで産んだ方が経済的だし(お金の問題じゃない、と主の方は仰っていますが)、こうやって「すごい!」と言われて悦に入れるのですから、浸透するのも当然なのでしょう。助産師会が真剣にこの無介助分娩をやめてほしいと願うのであるならば、多くの助産師や、助産師の関係している出版物、団体、個人のHPや発言内容の見直しと、そして医療者であるという自覚を再教育するよう務めるべきではないかとおもっております。

私たちが出産を甘くみるようにした人たちがいて、結果、私たちを無介助分娩までしないと気がすまないようにしてしまった。
そして、出産を甘くみているのは病院で産む人たちだと嘲笑っている。
本当に出産をなめてんのはどっちだ? って、出産をなめて子どもが死んだという経験によってあの頃の自分に突き返しているわけです。
私も同じでしたから、無介助分娩もありだろうなくらいに考えていた輩です。私の場合は、少しそれは違うとおもいながらも、きちんと反論できませんでしたので、肯定したようなものなんですよね。出産を甘くみていたから、「そんな危険なことをしていいわけないだろ! それは大人のエゴであって、母親のすることじゃない!」っていえなかったわけです。
今回の方もその賛同者たちも、無介助分娩で出産した母親に対して「母親はすごい!」みたいなことを言っていますが、母親が本当にすごいと言えるのはこういう無謀なことをしちゃうからではなく、子どものためになら自分のしたいことを引っ込められるからではないでしょうか。産み方は生き方だとか、いろいろと私たちを惑わす文言があること自体が悪いのですが、実はそれらが常に誰かの営利目的で使われていることであって、子どもの命を危険に晒してまで、子どもを犠牲にしてまで追求するものなんかじゃないと知るべきです。ロシアンルーレット、その銃口は誰に?
あと、すぐに「昔は」と連呼しあっていましたが、帝王切開したくなくても子どもの命を守るためならば切ってもらうしかないし、自分がどう産みたいかよりも、子どもを無事に! と願ったからこそ、病院での出産を要望していったのだとおもいますよ、昔の方たちは。それは私自身が琴子を亡くしたことで痛感させられましたから、タイムマシーンで覗いてきたかのようにして言えますね。「ここで産んでいたら、あの子は元気に生まれていたのだろう、育っていたのだろう」と思うと、原始的なことに憧れる気持ちは一瞬で消え失せます。

「病院を信仰している」と言われて茶化されるかもしれませんが、病院だから100%安全だとは言っていないわけです。出産は何があるかわからない、妊娠、出産における新生児死がゼロになることを希望していても、それが叶わないことも知っています。私が常々申しているのは、自分の子どもを助けてくれようとおもって必死になってくれた方がいたかいないかで、親のその後の人生や心の有り様は大きく変わるということです。そして、親であるならば、子どもに最初に触れるとか、そういう儀式のようなものにとらわれず、万が一に備える、というのが一番大切な、真っ先に考えるべきことではないか、ということです。医療について考えて


そもそも、私たちには『赤ちゃんをリスクに曝す権利はない』のですから、「個人の自由」ではないのですよ。
だから、本当ならば、あのような動画を流してしまう、一般公開してしまう行為にはきちんとした機関から注意や警告がなされて、削除されるべきであるし、同じ行為が繰り返されないためにも、何が問題であるのかを多くの方に向けて、きちんと伝えてあげて欲しいです。