助産師の方への質問

先日の記事産む前の勉強の重要性鳥さんがくださったご意見を読まれた上での助産師の方のご意見を伺いたいです。
特に、

癌という病も、エイズという病も
本当はありません。
病院に殺されて、搾取されていることを、私は美化する気にはなりません。

開業助産師である方ならば、もしもこのようなお話を「これからお産でお世話になります」という女性やご家族からされた場合は、どう返されていますか?
もしくは、真っ向からご自分の意見が言い難いとした場合、どうおもわれているのか?

もちろん、助産師の方だけにというわけではないのですが、常に助産院や自宅出産であっても安全確保に務めているということならば、普段からどういう会話をされているのか? どういうことを返されるのだろうか? ここを伺い、現況を学びたいです。

今回は助産師の方の返し方を伺いたいので、鳥さんへの個人的なご意見はご遠慮下さい。

ちなみに、H助産師(琴子を産んだ助産院の助産師)は、逆子のお産はなんで病院と言われるのか? と質問したら、「知らね」と言ったあとだったとおもうのですが、帝王切開で麻酔が多過ぎて子供が死んだ人が、次のお産で自分のところへ来たという話しをしてきました。
※それはVBACを開業助産師が引き受けていたという事実でもあること、事の重大性を後に知ったことで、当ブログで記事にもしています

産む前の勉強の重要性

先日、鳥さんという方からいただいたコメントより、鳥さんへの返事も兼ねて記事を書くことにしました。

鳥さん、はじめまして。
返事が遅くなり、失礼しました。

昔、琴子を出産する前によく聞いたようなお話が鳥さんの言葉から感じられました。
そして、出産後に琴子が死んだときにも、鳥さんのように仰る方にも多く出会いました。
だからこそおもうのですが、助産院や自宅出産でなければいけない理由をまずは考えませんか?
私のところにある情報で、生後1ヶ月の記念のように子供朱肉を塗りたくり、魚拓ならぬ人托をとって「くれる」開業助産師の件があります。
画像もあります。
ただ、事情によりお見せすることができません。
朱肉のメーカーに確認した所、人体に塗るなんてとんでもないことで、ましてや生後1ヶ月の子に? 助産師が? と驚かれていました。

鳥さんの
>そこまでいうなら、こどもと母親の安全をまず第一に考えている助産院を
どうか教えてくださいませんか?
ーーー
に応えるのに、上記の助産師以外でも、ここでは問題の多い助産師の話しをする機会が多いです。
それは何故か?
私が当時、鳥さんのように
>自然な分娩を希望されるお方や、それを叶えたいと奮闘される助産師さんたち
ーーー
ばかりをみてしまい、助産院や自宅出産では「事故はない」とおもいこんでいたのだろうと自分でおもうからです。当時、インターネットで逆子で助産院での出産を検索しても、犬のお産や、成功例が数個あった程度でした。また、出産時に子供が死んでしまう可能性を語るものは皆無ともいえました。
そういう
>思慮の及ばない考え
ーーー
にならないためにも、私が当時知り得るべき事実や、子供の命の尊さをもっと真剣に考えるべきだということ、そして、助産師会が当時私のことを扱った記事で「産む側も勉強を」と言ったことを真摯に受けとめ、このようにして勉強しております。
そして、琴子やこのブログを通じて出会う

一生懸命生きて頑張っておられる助産師さんやお母さん方
ーーー
からは、鳥さんのようなご意見とは真逆に近く、「このようなことが二度と繰り返されないためにも、妊婦さんにこのブログを見るように話した」とか、産む場所の選び方を考え直したというようなご意見を頂いていますので、私こそが、当時、助産院や自宅出産のリスクを知りたかったと思う気持ちを日々強めています。

このように、鳥さんのご意見からまた私も考える機会を頂いています。とても有り難いことだとおもいます。誹謗中傷ではない限り、またご意見から私の感じたことをお話しさせていただきたいとおもっております。

今回の最後になりますが
>一生懸命生きて頑張っておられる助産師さんやお母さん方
ーーー
のところ、一生懸命生きられるのも産まれることが出来たからですよね。
助産師の方が一生懸命生きるのと子供が死んでしまったり、事故で人生に大きく苦労を背負うのとを一緒に語るのは愚見となってしまうので、私はそのように捉えてないことだけは伝えさせてください。

助産院とは何か?

調べ物をしていて知った助産院のホームページがあり、またいろいろと考えてしまいます。
助産所助産院)、更に言えば助産師に私たちが何を求めているのか?
その私たちの求めに答えた結果が、医療従事者でありながらも、情報の殆どが民間療法や食養、そして、霊的な話しなのか?
霊的なことをはっきりと言及しているサイトは多いといえないけれども、運命だとかで語るのも似たようなものがあるし、カリスマ美容師というとまだなんとなくその技術にカリスマ性を感じられるけれども、カリスマ助産師というと、私の場合は技術的なことよりも、何故か宗教的な方向を感じてしまう。これは気のせいでしょうか。

最近はこういうサイトにであっておもうのが、むしろわかりやすくて有り難いとおもうべきかも、ということ。
こういう助産院は危ないって言っても、そうおもわない人は他のサイト(反対側)を見なくなるから、もう届かない。
特に、今回出会ったサイトの中で一番怖いとおもった場所は、出産を扱っているわけではなく、新生児以降を対象としている。調べていると、ご年配女性にも施術している写真もあったので、下手したら孫と一緒に楽しんで通っている可能性も否めない。
体が快くおもえる施術は否定しないけれども、そこが「助産院」としていること、それはいうなれば助産師という国家資格を掲げて集客をしていることとその内容が伴っているのか? という疑問。
子どもの病気などについてもすごく意見を出していて、そういうのも助産師という肩書きが…なわけで。

私たちが何を求めているのか、それへの答えだとしたら、私たち自身がまず考え直さないといけないとならないと、つくづくそうおもいます。

心よりお見舞い申し上げます

台風、大雨により、被害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。
そして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

栃木県内にもたくさんの爪痕が残ってしまいました。
茨城県常総には縁があり、度々伺っていた町です。
1階が浸水してしまった石下のアピタにも行ったことがあります。
あまりにも違ってしまった様子にショックでした。
またすぐ悪天候になるようで、救助や復旧作業がスムーズにできないこともあるかとおもうと気持ちが沈みます。
どうか被害が拡張するような悪天候にはなりませんよう、祈っています。
私に何かできることをみつけていこうとおもいます。


私個人のこととなりますが、私の住む地域でも川の氾濫注意水位を超えたという通報を常に出してくれたり、特別警報の発令時、深夜にも関わらず通報をしてくださったりと、行政や関係機関の方達に感謝します。
おかげさまで、私の家は被害はありませんでした。

今朝、特別警報が解かれたということですが、気持ちの中ではずっと忘れず、備えていきたいとおもいます。

12歳

琴子、お誕生日おめでとう。
琴子が生まれた日に似ていて、今日は空の調子が悪いです。
あの日は日曜日で、今日は月曜日なのと、朝起きたら、ダンジが琴子の部屋にちょっと音程のずれたお祝いの歌を唄っていたことと、リンズが笑いながら寝癖を直していたことが違います。
あとは同じで、琴子が生きていてくれたらなっておもう気持ち。

あと5分くらいしたら、せっかく生まれて、午後になったら生きようとしていたのに、死んでしまう時間がきます。

本当にごめんなさい。
琴子の無事よりも何よりも、どこで産むかに固執してしまったバカでごめんなさい。

どうか、他のお母さん達にはこういう愚かなことが起こりませんように。
産み方は生き方ではなく、競争でもなく、自分の大事なものは人の目を気にする対象ではないとわかってもらえますように。

囲まれるだけではなく、囲んでしまうかもしれないという問題

「ズンズン運動」については以前に「ずんずん運動から」(カタカナ表記だったんですね)などで触れていますが、
独自の施術で乳児死亡、NPO理事長有罪 大阪地裁 (2015年8月4日 朝日新聞
有罪判決の“ズンズン運動”元理事長を逮捕(2015年8月5日 TBSニュース)
とあった上で
「ズンズン運動」で乳児窒息死 NPO女性理事長の稼ぎっぷり(2015年3月7日 日刊ゲンダイ
記事の中

「約12年間で6000人以上の乳児を施術していたといいます。『免疫力を高め、アトピーに効果がある』などとうたって集客し、『大学教授から免疫学の裏付けを得ている』などとウソの説明で信用させていた。カルト集団の教祖のように口八丁手八丁、施術に訪れた客をスタッフで囲むなどして、抜け出せない雰囲気をつくっていたそうです」(捜査事情通)

ここです、本当にこんなカルト集団のようなことが、助産所や自宅出産を選ぶ方達にもあるとおもうんです。囲むまでのことはないにしても、似たような状況でしょう。「産み方は生き方だ」なんて言ったりするのだって、書籍や雑誌、最近ではネットを使って母親の意識を抜け出せないように追い込んで。
「ズンズン運動」は産んだあと(子どものために出会う)のことだけど、私たち母親(女性)がいかにして、妊娠前から複数のカルト化した思想に囲まれているかーそして、それらの殆どが子どもを餌食にしたような思想で、「こうしなければ子どものためにならない」=「母親失格」というような脅迫であるから、子どもが死んでしまうまで気付けなくなってしまう。
自分のエゴ、愚かさで子どもが死んでしまうことこそが母親失格という烙印であり、それを自ら押すことになるとは露ほども疑わない。
疑わずに突き進んでしまう私たちにも問題はあるとおもう。
でも、アトピーで悩んでいるお母さんの場合、痒くてたまらないのにかけずに泣いている子ども、そこにあるステロイドの問題などを身近に見ていると、毎日に疲れ、藁にも縋るおもいで情報を探し、子どもに良い結果になりそうだと歩み寄っていってしまうお母さん達に、一方的に母親失格と言い切ることは私にはできない。一番厄介で問題なのは、子どものため、母親のためと言葉を使いこなし、柔らかい表現を纏わせながら追い込んでくる人たち。
こういう問題をまとめたものを、母子手帳と一緒に配布するなどはできないものでしょうか。
これらの問題を知って考えるとき、自分が“囲む人・囲む側”になる可能性にも気が付いていただけたら幸い。
子どもを守るというのは自分の子どもだけではなく、他人の子どもに対しても同じでなくちゃならない。
助産院や自宅で産むことを熱く語る方にはご自分の発言を思い出してよく考えてみて欲しい。
押し付けがましい言い方や、見下した空気はないか?
被害者になる心配ばかりではなく、加害者になる可能性もみてほしい。
亡くなってしまった子ども達の命を無駄にしないためにも、こういう問題をまとめたものを、母子手帳と一緒に配布するなどはできないものでしょうか。

嘱託医無しと無許可だけが問題なわけではない

nomnomさん、ありがとうございます。
出産後の出血で死亡、助産師に罰金の略式命令魚拓
(関連の過去記事

 相模原市南区の「のぞみ助産院」で2013年、出産後に大量出血した女性が救急搬送の遅れから死亡した問題で、神奈川県警が業務上過失致死容疑で書類送検した女性助産師(69)について、横浜区検は29日、同罪で横浜簡裁に略式起訴した。

 簡裁は同日、罰金50万円の略式命令を出した。

 起訴状によると、助産師は13年4月27日夜、女性(当時33歳)が出産後に大量出血したのを確認したが、すぐに医療機関で治療を受けさせるなどの対応を怠り、翌28日に搬送先の病院で死亡させたとされる。

 助産院と助産師は、医療法で定められた市長の許可を受けず、緊急時の嘱託医療機関も確保しないで助産院を経営したとして、医療法違反容疑でも書類送検されたが、同容疑については不起訴となった。

嘱託医はいなくてはいけないはずだし、この「のぞみ助産院」は行政の許可を得ずに助産所を開業していたという、他の業界に置き換えても信じられないことが医療界で行われていたという有り得ないことに対して、更に有り得ない決断がくだされてしまったという、非常に残念な気持ちになりました。
更に正直に申せば、私は「嘱託医があるから安心・安全」ともおもっていませんので、どんな決断がくだされたとしても、問題解決のために助産師の方達がどういう思想で開業しているのか? というところと、助産師の方達のそのような思想を根付かせている可能性のある教育の見直しなど、この件で終えずに根本からの議論をしていただければと願っています。
これらの問題をこれから分娩場所を選ぶ方に知ってもらい、自然分娩がいかに残酷で死と隣り合わせのことなのかをきちんと想像してくれる機会にしてもらえたらとおもっています。
私の娘・琴子だって、提携している病院や嘱託医がいるという助産師に搬送をお願いしても拒否されて死んでしまいました。病院で出産していたら無事だったろうと、帝王切開で産んであげれば良かったのにと悔やんだって、死んだ子どもはかえってきません。臨月まで元気に私のお腹を蹴っていたのに、出産の場で死んでしまったんです。
生まれるはずの行為の中で死んだんです。
嘱託医との提携がきちんとあっても搬送をしてくれない問題は、きっと琴子以前からあったのに、私が琴子を産む前に知ることができなかっただけ。でも、もしも知ったとしても、まさか自分の子どもが死ぬとか、そういう不幸が我が身を襲うかもと、リアルに想像して考えることができなかったかもしれない。そのくらい、私たちは「女は産む力を持っている」とか、プラス思考といわれる妙な思想に洗脳されている可能性がある。

また、自宅出産だけを扱う無床の開業の場合だと嘱託医は要らないとか、過去、産科医しか嘱託医になれないとなったときにそれでは困ると反対運動をしたのが、一部であれ助産師の方達(助産師として有名な方も含まれていたりする)だったりしたのです。なぜ嘱託医が産科医に限定されたら困るのか? それは、提携してくれる産科医がみつけられそうもないから開業できなくなるじゃないかという、そういう理由がメインでしたね。そ開業さえできればあとはおかまいなしと解釈するしかないですよね。
あと、助産師には「妊娠・出産は病気じゃないのだから」という言葉を掲げる方も多く、それによって私たちは「病院が(じゃ)なくても大丈夫なのだ」という考えになってしまいがち。違います、今回のこの亡くなってしまった方だって出産後の急変だったように、助産所で亡くなっている方のほとんどが急変によるものだとおもえば(本来、開業助産師はリスクのある母体を請け負ってはいけない)、「健康的な私は大丈夫」が通用しないことだと気付けるはずなのです。
「産み方は生き方」だなんて言葉、これを自然分娩選択者だと一度は聞いて誇りにおもってしまったこともあるかとおもうのですが、じゃぁ、琴子が死んだ私の生き方はどうだったというのか? くだらない。非常にくだらない“自然分娩への誘いの常套句”だと私はおもっています。
今回の件、この程度で許されないはずだという気持ちを抱きながら、このようなことが放置されていたという問題(この助産所の問題は以前から周知のことだったらしい)や、体裁を取り繕っているだけで思想は同じか似たような人物が開業していないか? 嘱託医がいれば安全で安心なお産ができると言えるのか? そもそも、助産院や自宅出産は安全なのか? ということを見直す機会にしていって欲しいと願っています。