2016年

昨年は殆ど更新できず、反省も多くありますが、それらを活かして、今年はもっと取り組んでいけるようにしたいです。
昨年、お子さんを悲しい気持ちで迎えた天使ママさんもいらっしゃるとおもいます。
この年末年始はとても辛い日々だったともおもいます。
天国は楽しいところで、そこで子ども達は大事にしてもらっているということだけでも信じて、少しだけでも気持ちを軽くしてもらえたらと願っています。

今年も宜しくお願い致します。

一事が万事

先日コメントくださったりりこさんのご意見から今日は考えます。
りりこさん、貴重なご意見をくださり、ありがとうございます。

病院であっても、ひとりひとりを見ながら、その人が何を求めているのかについて
表面的に表れていること以外のところもすくい上げながら、寄り添うケアを提供する
ことが、特に助産師を含めた看護職に求められていることのように思います。
鳥さんにとって、良い選択がみつかりますように。

もしもその当事者は母に手をつながれた子供だったらどうなるのだろう?
ホメオパシーの問題にしてもそうですが、大人が自分に与えられた病名がガンでもエイズでも、どういう治療をしようか、どう解釈しようか、選択の自由はあるでしょう。
でも、子供の相談でもこう答えられるのでしょうか。
助産師、看護師であろうとも、妊娠・出産で得られたこのような価値観によって子供の生命に関わっていくことに対して、責任というものはないのでしょうか。
母親にとっての良い選択が子供の生命を脅かすかもしれない、と考えることは普通にはないのでしょうか。
いちいち問いかけないといけないことなのか。
助産師の方たちへの疑問はここにあるのではないかと、そう痛切に教えていただいたような貴重なご意見でした。

助産師の方への質問

先日の記事産む前の勉強の重要性鳥さんがくださったご意見を読まれた上での助産師の方のご意見を伺いたいです。
特に、

癌という病も、エイズという病も
本当はありません。
病院に殺されて、搾取されていることを、私は美化する気にはなりません。

開業助産師である方ならば、もしもこのようなお話を「これからお産でお世話になります」という女性やご家族からされた場合は、どう返されていますか?
もしくは、真っ向からご自分の意見が言い難いとした場合、どうおもわれているのか?

もちろん、助産師の方だけにというわけではないのですが、常に助産院や自宅出産であっても安全確保に務めているということならば、普段からどういう会話をされているのか? どういうことを返されるのだろうか? ここを伺い、現況を学びたいです。

今回は助産師の方の返し方を伺いたいので、鳥さんへの個人的なご意見はご遠慮下さい。

ちなみに、H助産師(琴子を産んだ助産院の助産師)は、逆子のお産はなんで病院と言われるのか? と質問したら、「知らね」と言ったあとだったとおもうのですが、帝王切開で麻酔が多過ぎて子供が死んだ人が、次のお産で自分のところへ来たという話しをしてきました。
※それはVBACを開業助産師が引き受けていたという事実でもあること、事の重大性を後に知ったことで、当ブログで記事にもしています

産む前の勉強の重要性

先日、鳥さんという方からいただいたコメントより、鳥さんへの返事も兼ねて記事を書くことにしました。

鳥さん、はじめまして。
返事が遅くなり、失礼しました。

昔、琴子を出産する前によく聞いたようなお話が鳥さんの言葉から感じられました。
そして、出産後に琴子が死んだときにも、鳥さんのように仰る方にも多く出会いました。
だからこそおもうのですが、助産院や自宅出産でなければいけない理由をまずは考えませんか?
私のところにある情報で、生後1ヶ月の記念のように子供朱肉を塗りたくり、魚拓ならぬ人托をとって「くれる」開業助産師の件があります。
画像もあります。
ただ、事情によりお見せすることができません。
朱肉のメーカーに確認した所、人体に塗るなんてとんでもないことで、ましてや生後1ヶ月の子に? 助産師が? と驚かれていました。

鳥さんの
>そこまでいうなら、こどもと母親の安全をまず第一に考えている助産院を
どうか教えてくださいませんか?
ーーー
に応えるのに、上記の助産師以外でも、ここでは問題の多い助産師の話しをする機会が多いです。
それは何故か?
私が当時、鳥さんのように
>自然な分娩を希望されるお方や、それを叶えたいと奮闘される助産師さんたち
ーーー
ばかりをみてしまい、助産院や自宅出産では「事故はない」とおもいこんでいたのだろうと自分でおもうからです。当時、インターネットで逆子で助産院での出産を検索しても、犬のお産や、成功例が数個あった程度でした。また、出産時に子供が死んでしまう可能性を語るものは皆無ともいえました。
そういう
>思慮の及ばない考え
ーーー
にならないためにも、私が当時知り得るべき事実や、子供の命の尊さをもっと真剣に考えるべきだということ、そして、助産師会が当時私のことを扱った記事で「産む側も勉強を」と言ったことを真摯に受けとめ、このようにして勉強しております。
そして、琴子やこのブログを通じて出会う

一生懸命生きて頑張っておられる助産師さんやお母さん方
ーーー
からは、鳥さんのようなご意見とは真逆に近く、「このようなことが二度と繰り返されないためにも、妊婦さんにこのブログを見るように話した」とか、産む場所の選び方を考え直したというようなご意見を頂いていますので、私こそが、当時、助産院や自宅出産のリスクを知りたかったと思う気持ちを日々強めています。

このように、鳥さんのご意見からまた私も考える機会を頂いています。とても有り難いことだとおもいます。誹謗中傷ではない限り、またご意見から私の感じたことをお話しさせていただきたいとおもっております。

今回の最後になりますが
>一生懸命生きて頑張っておられる助産師さんやお母さん方
ーーー
のところ、一生懸命生きられるのも産まれることが出来たからですよね。
助産師の方が一生懸命生きるのと子供が死んでしまったり、事故で人生に大きく苦労を背負うのとを一緒に語るのは愚見となってしまうので、私はそのように捉えてないことだけは伝えさせてください。

助産院とは何か?

調べ物をしていて知った助産院のホームページがあり、またいろいろと考えてしまいます。
助産所助産院)、更に言えば助産師に私たちが何を求めているのか?
その私たちの求めに答えた結果が、医療従事者でありながらも、情報の殆どが民間療法や食養、そして、霊的な話しなのか?
霊的なことをはっきりと言及しているサイトは多いといえないけれども、運命だとかで語るのも似たようなものがあるし、カリスマ美容師というとまだなんとなくその技術にカリスマ性を感じられるけれども、カリスマ助産師というと、私の場合は技術的なことよりも、何故か宗教的な方向を感じてしまう。これは気のせいでしょうか。

最近はこういうサイトにであっておもうのが、むしろわかりやすくて有り難いとおもうべきかも、ということ。
こういう助産院は危ないって言っても、そうおもわない人は他のサイト(反対側)を見なくなるから、もう届かない。
特に、今回出会ったサイトの中で一番怖いとおもった場所は、出産を扱っているわけではなく、新生児以降を対象としている。調べていると、ご年配女性にも施術している写真もあったので、下手したら孫と一緒に楽しんで通っている可能性も否めない。
体が快くおもえる施術は否定しないけれども、そこが「助産院」としていること、それはいうなれば助産師という国家資格を掲げて集客をしていることとその内容が伴っているのか? という疑問。
子どもの病気などについてもすごく意見を出していて、そういうのも助産師という肩書きが…なわけで。

私たちが何を求めているのか、それへの答えだとしたら、私たち自身がまず考え直さないといけないとならないと、つくづくそうおもいます。

心よりお見舞い申し上げます

台風、大雨により、被害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。
そして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

栃木県内にもたくさんの爪痕が残ってしまいました。
茨城県常総には縁があり、度々伺っていた町です。
1階が浸水してしまった石下のアピタにも行ったことがあります。
あまりにも違ってしまった様子にショックでした。
またすぐ悪天候になるようで、救助や復旧作業がスムーズにできないこともあるかとおもうと気持ちが沈みます。
どうか被害が拡張するような悪天候にはなりませんよう、祈っています。
私に何かできることをみつけていこうとおもいます。


私個人のこととなりますが、私の住む地域でも川の氾濫注意水位を超えたという通報を常に出してくれたり、特別警報の発令時、深夜にも関わらず通報をしてくださったりと、行政や関係機関の方達に感謝します。
おかげさまで、私の家は被害はありませんでした。

今朝、特別警報が解かれたということですが、気持ちの中ではずっと忘れず、備えていきたいとおもいます。

12歳

琴子、お誕生日おめでとう。
琴子が生まれた日に似ていて、今日は空の調子が悪いです。
あの日は日曜日で、今日は月曜日なのと、朝起きたら、ダンジが琴子の部屋にちょっと音程のずれたお祝いの歌を唄っていたことと、リンズが笑いながら寝癖を直していたことが違います。
あとは同じで、琴子が生きていてくれたらなっておもう気持ち。

あと5分くらいしたら、せっかく生まれて、午後になったら生きようとしていたのに、死んでしまう時間がきます。

本当にごめんなさい。
琴子の無事よりも何よりも、どこで産むかに固執してしまったバカでごめんなさい。

どうか、他のお母さん達にはこういう愚かなことが起こりませんように。
産み方は生き方ではなく、競争でもなく、自分の大事なものは人の目を気にする対象ではないとわかってもらえますように。