人をリスクに曝す権利は誰にもない

Twitter経由で「自宅出産」の記事 を読みました。読後、産む前の方にもう一度伝えたい言葉は『赤ちゃんをリスクに曝す権利はない』。

「自宅出産」と表現されていたけれども、実は、無介助分娩です。無介助分娩をした女性の町の役場の方達は、その町に分娩施設がない現状や立場からしてか、スムーズに対応をしてくれるそうです。そういえば、他にも美術系とか、自然万歳なタイプの方が移住してくる地域で、無介助分娩が増えている問題を聞いたことがあるので、「そういう方達との共存の仕方」という感じで適度な距離感で対応をされている町なのかもしれないと思ったり…。

出産を経験した女性達が集まると、妊娠や出産についての武勇伝はよく語られる。記事の女性の方はお子さんが今を元気に生きてくれているから、こうやって語れるのだ。なのに、このような語りをわざわざ大勢に読ませようと伝えていく必要があるのか? それが何よりの疑問として残る。
女性には産む場所や方法を選ぶ権利はあるが赤ちゃんをリスクに曝す権利はない
妊娠、出産にまつわる経験を武勇伝のようにしてしまうのは、それは、他人の赤ちゃんをリスクに曝すことであると、私たちが常にそう自覚するべきではないだろうか。

琴子と妹と弟

ご無沙汰しています。

先日、琴子のお墓へ行ってきました。
家族揃ってのお墓参りは数ヶ月ぶり。
今年、妹のリンズが自分の飛躍を願って挑戦したときにいただいた番号が「31」。
お姉ちゃんが見守ってくれてるねと話したり、弟のダンジも、自分の将来の目標を持てたりと、姉に報告したいことを伝えて帰路へ。
通過する日光で、電線を渡る猿に遭遇!
リンズとダンジが猿発見と同時に「あ!」と言ったら、車内の声は聞こえてないはずの猿がこちらを見て数秒止まってくれたり、地元のお祭りにも遭遇して車を停めたら、うちの隣の車のナンバーが「831」で、リンズが「お姉ちゃんの誕生日だ!」と笑顔。
そのお祭りで、ダンジが手打ち蕎麦に並ぶとくじ付きで、お店のおばさんがダンジを可愛がってくれて、大当たりのクジをひきやすくしてくれて...1等賞のそば殻の枕をゲット!
ダンジ、大喜び!!
「琴子お姉ちゃんが喜んでくれてるんだ」と、二人が自然にそうおもってくれているのが何よりも嬉しかったです。

子どもが笑顔で、そして、出産が喜び多くあるように祈るばかりです。
お盆でご先祖様をお迎え、お見送りされるときに、そこに幼い子どもの姿もあることを思い出してもらえたらと願っています。

私たちにできること

今日書くものはまいまいさんからのご意見へのレスとなりますが、助産所や自宅出産で出産された方達へともなるとおもい、記事にさせていただきます。
まいまいさん、ありがとうございます。

私は、助産院で産もうとして、早剥をおこしかけていたので、助産院の方が早めに対応してくださり、緊急搬送となり助かりました。ブログを読んで助産院もいろいろだと感じました。

助産院もいろいろですが、私がおもうに大事なのは、無事だった経験から「だから大丈夫」という内容で友人、知人に伝聞しないこと。そして、そうおもっているわけではない体験談をしているとしても、相手に勘違いをさせないこと。

まいまいさんの出産からも思い出すのは、私の直接知る元医療従事者が仰った言葉、助産院(自宅出産)は「完結できない場所」ということです。
緊急搬送のはずが交通事情などによって、緊急の対策の結果に至らないケースも最近は少なくないようですし、まいまいさんの場合も、たまたまうまくいっただけに過ぎなかったと私はおもっています。
なので、あえて「特別な場所」を選んでしまう私たちが、たまたまうまくいったことを「だから大丈夫」という印象を相手に持たせないためにも、琴子のように死んでしまった子どもたちや、身体の自由を奪われる結果にされてしまったお子さんたちのお話を伏せないようにすることが大事なのではないかと、それが私たちにできることなんだとおもっています。

2017年も宜しくお願い致します

昨年はほとんどブログを更新できませんでした。
いろいろと猛省中です。

昨年、お子さんを天国へ見送った天使パパ、ママにはお正月の賑わいが辛いのではないかと、自分の経験から想像しています。
少しでも気持ちが落ち着いて、ゆっくりと心身共に安らげますよう、祈っております。

たまたま上手くいっただけだろ?

当ブログでも貴重なご意見をたくさんくださっていたふぃっしゅさんのブログから
カンガルーケアを考える 15 <こんさんのコメントをまとめていきます
「カンガルーケアを考える」まとめ

こんさんふぃっしゅさんのブログにご自分のお子さんのことで書き込みをされたこんさん
お子さんを帝王切開でご出産され、安堵感に包まれながら始められた授乳により、こんさんのお子さんは脳死状態になってしまったということです。
こんさんご自身のコメントには考える、見直すべき問題点ともいえる内容がたくさんあります。
こんさんからの許可を私が得たわけではないので、ここでの直接のご紹介は致しませんが、ふぃっしゅさんのブログにまとめられたこんさんのコメントを是非、ご一読いただけたらとおもいます。


こちらのブログでもカンガルーケアについては何度か扱わせていただいております。
カンガルーケアのガイドライン ※2010.12.25 コメント欄を追記
完全母乳育児促進の問題
【カンガルーケアや完全母乳等による低酸素脳症被害者の会】でのこと (1) ,(2)
「早期母子接触」は必要があるのか?
「カンガルーケア」はやるべきか?
「カンガルーケア」と書く前に...
身の毛もよだつ「それよりも」

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丁度、上の記事の中に今年の5月、ゆきさんという方から下記のコメントを頂いています。

早期母子接触をしてもしなくても一定の割合で何らかの異常は起こるもので、それがたまたま早期母子接触中に起こっただけなのに、非常にメリットがある早期母子接触を排除しようとする正確でなく、科学的根拠のない新聞記事に対して多くの産婦人科医、新生児科医は物凄く腹を立てています。むしろ早期母子接触をした方が異常が減っているというデータもあり、早期母子接触は子宮収縮を促し(出血防止)、赤ちゃんの低血糖予防、母乳育児、愛着形成、虐待防止にとても効果があると論文でも言われています。早期母子接触とは少し違いますが、心臓奇形があって酸素マスクが必要な赤ちゃんでもNICUでカンガルーケアをすると物凄く呼吸状態が落ち着きその間だけでも酸素マスクがいらなくなるくらいでその効果には目を見張るぐらいです。生後1時間は赤ちゃんは静かな覚醒状態にあります。母子接触のための極めて有用な時間とされています。

ゆきさんが大事にされたいのはNICUでのカンガルーケアになるかとおもいます。この記事は早産児へのカンガルーケアと、正期産新生児との母子の皮膚接触は違う、としようとしたものと私はおもっています。
それと、「たまたま早期母子接触中に起こっただけ」というのは乱暴すぎるとおもいます。これは非常に、今後も心ない考え方をされがちな気がして、「たまたま言ってしまっただけ」だとしても、見直していただきたいです。

ここからはゆきさん宛ではないです。
社会の、世界のどこかで起こっている子どもが事故や病気、命に関わることを「たまたま起こった異常」とおもうのはやめませんか?
逆に言わせていただくと、「たまたま上手くいっただけ」です。
琴子の逆子の出産にしてもそうです。逆子のお産を扱ったことのある助産師が「たまたま無事に産まれてくれた」子どもをあたかも当たり前のようにして「逆子のお産の方が楽だ」と言い切った結果、琴子は死にました。

こんさんのお話も読んでいて辛くて悲しかったのは、帝王切開後、約19時間しか経っていない授乳中に眠ってしまった母親の責任というような結論を出そうとしたこと。
そうじゃないでしょ? 帝王切開であったとしても、母体は疲労回復に時間を要する。無事に産まれてくれたという安堵感も手伝えば、眠気が生じるのは母親の責任ではない。
過去にこんさんの事故例がなかったとしても、異常がなかったとしても、それは「たまたま上手くいっていた」とおもって欲しい。

感謝の気持ちだとおもう。
まず、たまたま上手くいっていたのだと感謝する気持ちを持っていれば、「たまたま起こった異常」なんていう考えはなくなるはずだ。
私たち事故となった側からすると、「たまたま起こった異常」だから仕方ないなんてことで片付けられていたら、これからも事故はなくならないとおもうのは当然でしょう。
どんなに良い結果が多いとしても、「たまたま上手くいっただけ」だとおもって欲しい。その姿勢や心構えが常にあってくれれば、こんさんのお子さんや琴子たちが「たまたま上手くいっただけ」のたくさんの話しに隠されようとすることもなくなるだろうし、もしかしたら、事故だってもっともっと減らせるかもしれない。
欲を言えば、私の心の中にいるたくさんの子ども達は皆、現在を元気に一緒に過ごせていたかもしれない。

「たまたま上手くいっただけだろ?」
琴子の妹と弟が何かにちょっとチャレンジしてすぐにそれを自慢するときに、よくそう言えば私は言っているなっておもった。すぐに調子に乗って、できることを当たり前にしてしまい、気を抜くのが悪い癖。
うちの子の欠点を晒すようだけれども、実は皆、同じじゃないですか?
今日一日、成功が続いたとしても、たまたま上手くいっただけだろ? そうおもって上手くいったことに感謝して欲しい。
琴子ならきっと、私と違って「たまたま上手くいっただけですよね?」と言い直すでしょうけれども、あえて私らしく、琴子も目の前にいるとおもって「たまたま上手くいっただけだろ?」って何度も。
だから、特別な事情もなく、しなくて良いことはせず、母子の安全のために考えて欲しい。無事に自宅での生活が始まれば、一緒にお風呂に入れるようになれば、直接皮膚を触れ合わせることは毎日の出来事になってくれる。
この毎日の出来事が当たり前になってくれるためにも、異常が起こる可能性があることを、それは人や時を選ばずやってくることを、私たち産む側も忘れずに考えていくべきだとおもう。

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こんさんがお子さんと一緒に伝えてくださっているお話を産む側の皆さんに読んで欲しいです。
なので、再度
カンガルーケアを考える 15 <こんさんのコメントをまとめていきます

13歳

琴子は生きていたら今日、家族と一緒に13歳のお祝いをしていました。

琴子、お誕生日、おめでとう。
家族は琴子の姿を見てお祝いを言えないのですが、琴子のお誕生日をことあるごとに、お祝いしています。
昨日、台風によって学校が休みになった妹と弟が心理テストを楽しんでいて、家の中に女の子がいて守り神になっている(心理テストというより、心霊テスト?)という結果に至ったらしく、ダンジが真っ先に
「琴子お姉ちゃんのことだ!」
と叫んでいました。
リンズもまったく否定せず、「すごいね、当たってる!」と繰り返していました。
仏壇の朝夕のことも、リンズが欠かさずにしていたり…もしかしたら、お姉ちゃんに何かを相談したりもしているのかな? 
琴子がずっと一緒にいてくれていると、家族それぞれが感じているままに、これからもずっと一緒にいてください。

13歳、おめでとう。
あなたと同じ年の子たちが中学校での生活に慣れてきた様子を見る度に、天国でも同じように楽しくしてくれていたらと願うばかりです。

治療放棄の問題

糖尿病治療中断 7歳男児死なす 殺人容疑「祈祷師」逮捕
自称祈祷師、殺人罪で起訴=糖尿病治療させず男児死亡―宇都宮地検

7歳のお子さんが親や大人が自分のために一生懸命にしてくれていると信じていたのだろうとおもうと、同じような立場にいる者として申し訳ない気持ちになります。
親の考えで治療を放棄してしまったとき、良いといわれるからやってみる…唱えられていた呪文を聞いて、そのときに何を見ていたのだろうか…
そして、治せると信じていた両親の悔しさは私の中にもある。


琴子もお腹の中でどうおもっていたのだろうか。
逆子でも大丈夫だと言われて安心してしまったバカな私のことを、それでも信じていてくれたのだろうか。
不安でたまらなかったのだろうか。

助産師であっても時に医療をかなり否定したり、かなりじゃなくてもそれなりに否定していたりする方がいるけれども、この“自称祈祷師”と呼ばれる男との違いを教えて欲しい。
医療従事者となるために取得された国家資格を持ちながら、その資格をもって医療を否定するというからには、有資格者としての責任もここに加わるはず。

こういう事件、事例を撲滅するためにも、私たち親を罵るのも必要なことだとおもい、受け入れています。事実、子どものためにとおもったとはいえ、自分たちに都合良く聞こえる、耳触りの良い話しにばかり傾いてしまうことにも問題が大きくあるから。だからそれは受け入れるけれども、医療を否定する医療従事者の存在、問題が「治療放棄」を増やしている可能性についてもきちんと考えて欲しい。

男児の両親がインスリンを投与しなくても治療できると信じ

たようになったのはどうしてなのか。