「言って」よりも「知って」

今年の2月22日に書いた「なんでそんなに医師がお産に介入するのがいやなのか?」にくださった御意見からまた考えさせて頂きます。

4月6日のぐーたんさんからの御意見

おそらく介入されたくない理由は、医者や看護師に心無い言葉を言われ、事務的という経験をし、尚且つ医療過誤の話を聞き、医療不信になっているからだと思います。

2人の友人が、NICU完備の総合病院の産科を選びました。

1人は破水して内診後「もう産まれそうですね」と言われ、何の説明もなく「会陰切開しますよ」。「いきんで!」「もっと!」と怒られながら、「お腹押しますよ!」とぐいぐい押される中での出産だったそうです。でも30分で出産し、母子ともに無事でした。

もう1人は24時間陣痛の後、促進剤を使って10時間後に出産、更に後産で胎盤がはがれず、処置中に血管が切れ出血多量で緊急オペになったそうです。危険でしたが何とか無事でした。

ただでさえ妊娠・出産の際に何か言われると「私が悪いの?」と思ってしまいがちなのに、出産のとき「もっと頑張って!」と叱責されると「頑張ってるわ!」と非常に傷つきますよね。後産も「いやー普通はああはならないんですけど」と言われて「私が悪いの?」と思ったそうです。

どちらも無事に産まれて良かったのですが、どちらも医師や看護師に不快な思いをしています。大病院は何百人という患者を抱えるので、多少事務的なのは仕方ありませんが、言い方や説明の仕方さえ考えれば全然違う印象だったと思います。

そこで「難産だったのは、促進剤とか使って無理に産んだから」「そのまま待っていれば子供の力で産まれたのに」と考える友人がいます。そういう友人は「助産院だったら、自然に産ませてくれるみたいよ」「家だからリラックスできるんだって」と言います。嫌な思いをした直後にそう言われて、「いやいや」と否定できる人は中々いないと思います。

本当は当然「たまたま無事だった」とか「緊急オペできない病院だったら、搬送中に出血多量で危なかったかも」とも考えるべきです。開業助産院や自宅主産のリスクヘッジ同様に、西洋医療においての心理サポート、説明責任の問題も重要視していただきたいと思います。


続いてsuzanさんの御意見

無事に生まれて、何をかいわんや、です。

無事に生まれる、以上のことがあるんでしょうか?
また、納得できなければ、医者に
あとでそういえばいいだけの話です。
きちんと主治医と話をする努力もしないで、あとで文句を言われても
医者も困ると思います。

それに何をいうにも「友人の話」です。
自分に不都合なことを、人間はいわないものです。
「病院でこんなひどい思いをした」という話をあとで
病院や、その患者さんの家族の話も含めて追跡すると、
ただ単なる思い込みで、医者もきちんと説明をし、
同席した(お産に立ち会った)家族も納得し、
本人だけが「自分はこうしたかった」「自分はこうされたくなかった」という
わがままなだけ、という場合がありました。

そういう意味では、ぐーたんさんも
ご自分の話でない、他人の話で
病院分娩を悪く言わないでほしい、
思い込まないでほしい、と強く希望いたします。


4月8日のsuzanさんからの御意見

今あらためてぐーたんさんのコメントを読むと、
やはり医師として、非常な無力感、脱力感、に陥ります。

通常のお産経過で、会陰切開をいれて間髪いれずに「もっとがんばって」「おなか押します」となることは
絶対にありません。
おそらく、心音が下がるかなにか、一時的にとても危険な状態になり
早く赤ちゃんを子宮の外に出さないとだめ、な状態だったと思います。
子宮をぐいぐい押すだけで、実は赤ちゃんにとっては大変な負担です。
会陰切開を入れるタイミングというのは、
実は、切れば一瞬にして赤ちゃんの頭が「めりっ」と母体の外に出る、タイミングなんです。

切ったあとで「もっといきんで!」「押します!」となるのは、
よっぽどせっぱつまった状況でしかありえません。
おなかを押すのも、まずいすなどを使って分娩台によじのぼり、
お母さんの顔をまたいで一人がおなかを押し、
もうひとり(たいていこっちが医者)が股で赤ちゃんの頭を引っ張るのです。
簡単なことじゃない、安易にできることじゃないんです。

そういう、明らかに危険な状況を無事に切り抜けて赤ちゃんが元気だったのね、と
医師である自分ならわかる状況なのに
「医師に不信感、不快な思い」といわれてしまうと…。

産婦人科医は、赤ちゃんが無事に生まれてしまうと
「ああよかった」としか思わないことが多いと思います。
危ない状況が1時間続いたならまだしも、一瞬の判断で
「会陰切開してクリステレル(おなかを押すこと)して分娩しないと危ない」と判断したら
熟練した産婦人科医なら本能的に反射的にからだが動きます。
「切りますよ!」と声はかけますが、母親と子供を救うため、と思えばこそ。
まさか、母親本人がこの危険な状況を全く理解できず
「不快だった、不信感を持った」とあとで言うなんて、思ってもみません。

説明説明といいますが、医者に対して過剰な期待をしてませんか?
「あのとくはどうして急に切開になっておなかを押したんですか?」
「待てなかった理由が知りたいです」とお産終わって落ち着いたあとでも、
場合によっては一ヶ月検診のときでも質問してもらったら、
医者は「あああのときはね、危なかったですよ、今は言えるけど」とか答えると思います。

「もっとがんばって」を相手を責めている、と解釈されるのも、思いがけないです。
人間は、究極の状態で「もっと」といわれると、本当に極限の力が出ます。
極限の力までいかないとお産は完了しない。
赤ちゃんの頭が出る、分娩の瞬間というものはまさに
生きるか死ぬか、極限状態です。
もっともっと、と力を出してこそ、医師の行う医療もいちばんいい効果を出せます。

それに、あえていいますが、
今にも赤ちゃんの頭が出る、という集中した瞬間に
「こんなにがんばっているのに傷ついた」とか考えることができるほど
余裕がある妊婦さんなんか、いないと思います。
いるとしたら、やっぱり「そんなことが考えられるくらい余裕がある」から
「もっとがんばれるはず、適当に力抜いている」ということになってしまいます。
必死できばっていたら、他のことなんか普通、考えられないのでは?

いろいろな意味で、ぐーたんさんのおっしゃる「友人」の話は
わたくしが少なくみても1万人以上たちあったお産するかたがたとは、
なんだか違う気がします。
何か、ぐーたんさんに言わないことがあると思います。
言わないことにはそれなりに理由があると思うので、
問い詰める必要はないけれど、ぐーたんさんが
「友人だから」というだけの理由で、病院分娩に悪い印象を書き連ねているのを、
どうしても見過ごすことができません。


4月11日のぐーたんさんの御意見

みなさん、こんにちわ。(長文すみません)

まず、私の説明不足・文章力の無さで誤解を与えているのかもしれませんが、私は病院分娩だけに偏って否定的な考えではありません。病院も助産院も肯定も否定もします。今回は否定的な部分だけを抜粋して上げたので、最後の方に「本来ならばたまたま無事、病院だから助かったとも考えるべき」と偏らないように反対の意見もあげたつもりでしたが、真意が伝わらなかったようで残念です。

また琴子さんの母さんのコメントにあった「産科崩壊を食い止める担い手」とは何の事でしょうか?助産師さんの事ですか?それは医師とは別物という認識です。子宮がん検診の話もありましたが、医師と同等の医療行為を現状の助産師・看護士さんが行う事を許可するのは本当にやめてほしいと思います。

次に説明不足と思われる面を補足させて下さい。

まず「なんでそんなに医師がお産に介入するのがいやなのか?」とありましたので「おそらく病院分娩を経験して医師に対して不信を抱いたからだと思います」とそういう人もいるという意味で答えたつもりです。もちろんそれが全てとは思いません。ここで問題になっている「自分だけでお産できる」とか「余計な手出しはしないで」など思っている人もいるでしょう。(私の周りにはいませんが)

本来は「私の友人に、医師がお産に介入するのに抵抗を持ってしまう人が存在します。その人は特に自然分娩至上主義からでは無く、病院分娩を経験して「その医師に」(医療にではありません)不快感を抱き、選択肢の一つとして次の出産は開業助産院を選択しました。このHPでは助産院が医療機関として捉えられる事の是非、自然分娩至上主義の危うさを熱心に啓蒙されていますが、そういう考えを全く持ってなくても、何らかの経験を通して医師に不信を抱いた事が医療や病院不信につながる場合もあるという問題も考えていただきたいと思います」というのがの私の意見の主旨です。

一方的に医者が悪い、または全て医者や病院が悪いなんて思いこんでいません。また医者が一生懸命やってないとも思っていません。

そもそもその話の発端は「(分娩に当たり)どの病院が良かった?」という良くある話からですが、私の地域は病院に恵まれており、総合病院も産科病院も助産院も近くに何軒もあり、初診で早い月数に行けば選べます。でも何軒か行ってから選ぶまではできないので、1か所狙いを絞って行きます。そのためのリサーチという感じです。

そこで色々な話がありましたが、そのうちの1人が総合病院Aを選んだけど、何の説明もなくいきなりお腹を押した。無事に生まれて良かった。でももし次もお腹を押される出産だとしても次は事前に声をかけてくれる先生の所で産みたいわ。という話です。

次の話も、そんな大変な状況で無事で良かった。でも産後次の日の検診で「なんで血管が切れたのですか?」と聞いたら「いやー普通はああはならないんですけどね・・・」で回診が終わってしまった。そして二度とその先生に会う事は無かったし、1か月以上してからそれは「特別な事だった」ともとれるけど「あなたの血管が普通じゃないから」とも取れるし、もやもやするわという話です。

なので、前者もお腹押されたという処置が不満なのでは無く、「今危ないので押しますよ」と「事前に言って」もらえなかった事が不満なのです。また出産の最中にお腹を押そうとしている先生に「何やっているのか説明して下さい!」とは言えないと思います。後者もどちらでもいいのではっきり原因を言えばお互いが納得した話だったのではないかと思ったので、「言い方や〜」と文章をつなげました。

suzanさんの1万人以上の患者さんは、皆さん満足されているかもしれませんが、別の場所には医師や(看護士・助産師も)のちょっとした事に不満を抱いている患者もいます。

「頑張って!」の話も、同じ頑張ってでも「もっと頑張って!(力入れてよ(怒))」とイライラしてそうに言われたいう人もいれば「ここがお母さんになる頑張りどころよ!(私はこう言われました)」と言われた人もいます。妊娠中・出産中ってナーバスなんだから、言う方も言い方考えれば?と思う、そう受け取るのはわがままなのでしょうか?

「後から言えばいいのに」ともありましたが、「私あの時すごい嫌でした。」と終わってから言うのは、クレームだし蒸し返すようでかなり抵抗があると思います。だったら深刻な状況でも無いし、どうせ二度と会わないし、ここは我慢して次の出産はここで産まなきゃいいやと思うと思います。(私たちの状況は、病院が選べるのでそう思うのかもしれませんが)

>他人の話で病院分娩を悪く言わないでほしい、思い込まないでほしい、と強く希望いたします。
>「友人だから」というだけの理由で、病院分娩に悪い印象を書き連ねているのを、どうしても見過ごすことができません。

とありますが、私は思いこんでもいませんが「言わないで・見過ごすわけにはいかない」とおっしゃるのはどういう意味なのでしょうか?「他人の話(伝聞・(自分で経験していない))だからダメ」なのか、「病院分娩に悪い印象を書いているからダメ」という意味なのでしょうか?病院分娩に悪い印象=病院分娩推奨とは反対意見は受け付けませんという主旨なのでしょうか?また文章から察するに「医者・医療のおかげで無事に産まれているんだから、それでいいでしょう。状況がわかりもしないのに文句言わないで」という事なのでしょうか?

そういった主旨のHPでしたら、主旨違いなのに書き込んだ事をお詫びします。

琴子さんの母さんの
>開業助産師の方とか支援、支持者がどう応えるのか、ですね、一番の問題は。そこに「そうよ、病院はとっても問題なのよ」と繋げてく人がいることが、問題なのでは?

友人の中に助産院や自然分娩礼賛、という人はいないんですよね。病院も問題じゃなくて、A病院の○先生は優しい、B病院は事務的、C病院は〜の中に、D助産院は「赤ちゃんと自分のペースで産めるよ」という人がいるのです。

もちろんそこでも「いやいや助産院って医療行為ができないんだから、病院とは違うでしょ。危なくない?」などの議論もでましたが、「その助産院は数回に1回は近くの総合病院で検診あるし、危なそうとなったらその総合病院に転院できるし、小さい病院でも同じ事があるんだから同じじゃない?」などと言われると判断が微妙になってしまうようです。結局「でも助産師は医者じゃないから怖い」という意見と「医者じゃなくても経験があるんだから大丈夫」という意見に分かれて終わりましたが。

因みに私も病院出産経験がありますが、大体満足しています。その満足の一つに「こういう場合は会陰切開、こういう場合は促進剤を使います。医療介入するその理由は・・」という説明がしつこいくらいあり、最後は聞きましたと書面にサインまでします。友人の中で「会陰切開って?」という話が出て「切らないで済むなら切りたくないけど、大体切っちゃうらしいよ」という人がいたので「私の先生が母子学級の時に、事前に切らないと逆に裂けちゃった場合後が大変だから切るって言ってたわよ」というと「そうなの?!」と驚いていました。私の先生は聞かなくても教えてくれました。
他にも、生活についてのリサーチ、またどういう状態になったら転院、緊急時の搬送先はどこ、など詳細で具体的な説明があり、とても良かったです。それでも私の病院も検診で待つ、費用が高いなどの理由で敬遠される場合もあります。

病院での出産で「心無い対応を受けた」という話は、私が琴子を出産する前から頼まなくても手に入ってくることでした。頼まなくてもというのは、探さなくてもとも言い換えられます。ちょっと数人集まれば、不満の比較が始まります。以前の私だったら「なんて酷い!」とおもって、伝聞の協力をしてしまっていたとおもいます。
琴子が死んでしまったことで、あれから8年経つわけですが、8年もかからずに知ったのが、あまりにも私たちが得ている情報は偏っていることと、あまりにも私たちが想像力に乏しいこと、そして「子供が無事であるということを当たり前におもって考えていること」でした。私はぐーたんさんのお話を読んでいて、あの頃の自分や、周囲の人たちと重なるばかりだし、そしてやはり、その話を聞く人たちの問題も感じました。

私は「妊婦様」になっている問題を感じました。どなたから?とかではないです。今回の皆さんの御意見からだけではないですが、たまたま今回、何故だか「なんでそんなに?」とおもったわけですが、ですから4月11日mayaさんの御意見

琴母さん、皆様、はじめまして。

ぐーたんさんのご友人と同じようなお産をしました。
助産師は怒鳴り、主治医も怒鳴り、助手の医師は私のお腹をぐいぐい押しました。
私は自分を繊細とは言えないまでも鈍感ではない人間だと思いますが、
まったく傷ついた記憶はありません。傷ついたのはエインが2箇所。
これだけ言ったりされたりするのは「ヤバイ状況だ」くらい事前に勉強(母親学級や本)でわかります。
「頑張ってるのに頑張ってなく思われるの?」なんて思う余裕はありません。
「絶対産んであげるからねっ」だけでした、分娩室では。

咄嗟の時に言いかたがどうのこうの、ずいぶん余裕のある話です。
分娩時にさえ、それだけの余裕があるなら、分娩前にも出産とはどういうものか勉強したらいい。
産科医療を崩壊させないために必要な努力は妊婦にも求められると思います。
医師が言い方を考えてて、その一瞬が赤ちゃんの命取りになっても、
ナーバスな母親に気を遣ってくれたことに感謝できるとは思えません。

に激しく同感します。特に私はリンズ出産時に会陰切開が必要となったときに「医療介入しますが、いいですか?」とわざわざ聞いてくれたことにかなり動揺しました。「そんなの、当たり前じゃないか!」とおもったんですよね、バースプランでも「必要なときには医療介入をして欲しい」とチェックしていたし。まぁ、まだ確認取れる余裕のある状態だったからなわけですが、これらもやはり琴子がきっかけで勉強していたからです。そう、私の場合はお恥ずかしいことに、勉強しておかないといけない無知だったんです。本来ならば、mayaさんのように当然におもえていたはずなんです。でも私は、子供が死ぬまでわからなかったんですね。そして、幸いにして子供が亡くならずに済んだ方で、私のようにわざわざ学ばないとわからないというタイプの方は、以降も分からないままでいることが多いということです。だから私も、母親学級の内容の見直しは強く要望します。そして、助産院で産もうと自宅出産で産むことを望む方にも、これらの基礎的な知識は得られるように、病院での母親学級への参加を義務化して欲しいです。行政に託してもいいかもしれませんが、行政も無知が災いして、とんでもない方を講師に呼ぶ例がありますので、講師の選択の際には“肩書きに騙されない”ようにして欲しいです。(母親学級だけでは間に合わないから、義務教育の中で医療の授業があって、きちんとした下地がきちんと作られているというのが理想だとおもいます)

もしもお友達が考え直すべきことを知らずに言ってしまっていたら、しょうこさん

ぐーたんさんが、再度このコメト欄に訪れて、suzanさんが書かれたことをそのお友達に教えてあげられる人であればいいなと願わずにおれません。ぐーたんさんのお友達が助産院で出産されていたら、子どもは亡くなっていたかもしれないのですから。それを救ってくださったお医者様たちに不信感を持ったままでこの先も感謝することなく生きていかれるのだとすれば、とても哀しいことです。

ふぃっしゅさん

是非、ご友人に、「NICU併設のハイリスク対応の病院で無事に出産できてよかったね。助産院とちがってハイリスクが多い病院だから医療介入の多いお産も多いし、イメージしていたお産にならなかったかもしれないけれど、きっと全力を尽くしてくれたんだと思うよ。説明が不足しているとかスタッフの対応で問題を感じたら、そういう大きな病院では意見書をだせるよ。また助産師もお産の振り返りに力を入れているので、話してみたらいいよ」と勧めてあげてみてください。

の御意見にあるように、私たちが伝えられる場面、知識(情報)があるということです。

友達との情報交換も原因の一つで死んだ、琴子のためにも言わせてください。私は助産師がどんなに懇切丁寧に説明するような人だったとしても、医師の説明が足りなくても後回しでも、琴子が生きてくれる方が良かった。多額な借金は難しいけど、値段よりも子供の無事を選ぶべきだった。それも、実際にはそんなに差がないわけだし。私がもしもぐーたんさんやお友達が集まる場所に居られる者だったのならば、一緒にお話するんですけどね。
あと、「病院でも死んでるよ」って言う方もいるけど、「最善を尽くしたか?」という十字架は一生、親を苦しめます。この十字架を背負う私には「助産院や自宅出産が子供の生命を救うために最善を尽くせる場所」とはおもえないんです。必死に務めている方には申し訳ないけど、「何かあったときには搬送します」ということは、何かあったときには子供には何もしてやれない場所だっていうことだとおもうのは、間違いでしょうか?

「助産院は安全?」 ブログ開設から今日までを振り返って

このブログを楽天で始めてから、もう1994日になるそうです(開設日:2005/09/06)。私がブログを立ち上げた当時は、「助産院で産むことを美化せず、そして助産院だからと否定せず、助産院について考えていきます」という自己紹介の文章にある通り、助産院や自宅出産を請け負う助産師がいなくなることを求めているつもりはありませんでした。それは日本助産師会が改善すると約束したことが、記憶にまだきちんとした期待として残っていたこともあったし、私が個人の体験からだけで望むことではないのだろうとおもっていたからだとおもいます。でもその後に他の方達からの事故の報告を受けたり、一緒に考えたり、そしてその方達の中から提訴をする方がいたり、提訴のための準備だけでもしたり、全くそういうことを選択肢にもせずにいらっしゃったりと、皆さんが選ばれることから私も沢山のことを学ばせて頂き、一つの結論を得たように最近おもうのですが、
助産院や自宅出産が安全を最優先していると納得出来る日はこのままでは来ない」
ということです。
琴子を亡くしてから8年過ぎたけど、最善を約束した助産会含め、自然出産を主とする助産院、自宅出産の在り方に対して、ガイドラインは出たけど遵守していると感じることはあまりなくて、総体的にみて悪化していることの方が多いと感じています。
ブログの一番最初の記事は「これも大事な一歩。」。中で私は

助産院で産むこと全てが危険だなんておもわない。
病院でだって、事故や悲しいお産はある。
ただ、助産院での事故の報告や報道は殆どない。
これって、私が娘を助産院で出産したけど亡くしたって報告すると、多くの人が
「自分で選んだんだから仕方が無いね」
って言っていた言葉による力が大きいとつくづく感じる。

と言っていますが、残念ですけど、今は考え方は助産院で産むことは危険だとおもう、どんなにリスクが最小限に留められるようにしていると言われても、「助産院や自宅出産こそがリスク」と知った以上は、1994日前の私のように「全てが危険だなんておもわない」とは言えない。これは私にとっては残念でもあります。
嘱託医の問題も、私は医師の方にもご意見を求めたいことだけど、引き受けた助産師は、リスクの説明をきちんとしていますか? どいう説明をしているか、きちんと把握してくださっていますか? そして、助産師は医療行為や病院、それこそ“西洋医学”と区切って言い放つ思想に、否定の気持ちはないですか? そのような状態で、助産院や自宅出産は「周産期医療の中」にあるといえるのでしょうか。いえないのだとしたら、助産院や自宅出産を病院での出産と同じようにして考えさせる現在に、私は疑問も感じます。嘱託医がいる、提携している病院へ搬送できるとシステムの説明はあるけれども、「だから助産院は安全です」へと直結して語れる状態でしょうか。


とっても不思議な気持ちがあるのです。実は昨年のいつ頃からか、私が裁判で非常にお世話になった医師Xさんと電話でお話しするときに、「助産院がこのまま存続出来る状態なのか?」と話をすることが何度かありました。私自身、ブログを通じて沢山の勉強をして、「助産師たちは問題を知っても都合悪いことには知らぬ振りをするし、自分達の営利優先でしか事を進めない」ということに気付いているので、一頃のようには考えてはいなくて、「このままの状態での存続は有り得ないとおもう」と話していました。そして、つい先日も医師Xさんとお話していて、そこで「そろそろ自分の意見をブログでも書こうとおもう」と話していたんです。そしたらそこに、先日の当ブログ産屋、そして村へ?二児の母さん

この内容とはずれているかもしれませんが、疑問というか教えていただきたいと思うことがありコメントいたしました。

もし、助産院や自宅出産が無くなる社会になり、皆が病院での安全なお産を求めて病院にしたとすると病院でまかないきれるのかなぁと。
検診でお世話になった病院でも早めの分娩予約をお願いしていたり、○月はもういっぱい!などの電話対応なども聞いたこともありました。
上手く書けませんが、お医者さまの負担は助産院や自宅出産がなくなった方が減るのでしょうか…。

とくださりました。そして、勤務助産師のふぃっしゅさん

私もこのブログに出会った頃は、「きちんと医療機関と連携している」助産院であれば問題はないぐらいに思っていました。
今は、医師のいない場での出産場所はなくしたほうがよいと思っています。
二児の母さんが、よい助産院にであったことは本当によかったです。
でも、問題はよい助産院、よい開業助産師かどうかの問題ではないのと思います。
「正常なお産は助産師でできる」のではなく、「お産は終わってみないと正常かどうかわからない」という明白な事実を助産師が受け入れていないことが問題なのです。
何度もここで書かれているように、正常に経過してきた出産が一瞬にして母子の命を失わせるのがお産です。
半世紀以上前は、年間2000人近いお母さんが出産で亡くなっていました。半世紀前ってすごく昔のようですが、私が生まれた頃です。赤ちゃんはもっとたくさん亡くなっていました。
大事な家族を出産で失わないようにするために医師のもと、助産師・看護師とマンパワーも必要です。出産の緊急時には専門職の人手がたくさんいるからです。
「異常がでたら搬送」では間に合わないのです。なぜ助産院はその点をきちんと伝えないのでしょうね。

それと10年ぐらい前まではあちらこちらに産科医院があって、お産の場所がなくなるとか自分の勤務先がなくなるなんて全く想像もしていませんでした。
いっきにここ数年で産科崩壊といわれる状況になりました。その引き金になったこととして前のエントリーにある大野病院事件や奈良の大淀病院の件、そして堀病院の看護師の内診問題などがあります。本当は、次の世代の産科の先生方を社会で育てていかなければいけない大事な時期に、多くの先生が出産の場を離れました。

もし産科医が二人いて帝王切開に対応できれれば、助産師3〜4人と看護師数人で少なくとも年間300件ぐらいの分娩をみることができます。
助産院ではどうでしょうか?数人の助産師で経営しているところが多いようですが、月に10件の分娩をしていたら多い方だと思います。
どちらが、より安全に、多くの出産を受け入れられるでしょうか?
また年間1万件ほどの助産院での分娩の半数以上が首都圏と大阪などの周産期センターや総合病院のある地域に集中しています。
中には助産院が存在していない県もあります。
これは、周産期センターや総合病院が近くになければ助産院自体が成り立たないことを意味しています。

本当なら1990年頃には助産師だけで出産を請け負う場所は自然淘汰されていたのではないかと思います。産科医のいる安全な場所での出産が何よりも大事なことであり、世界中、それがかなわなくて多くの命が失われているのですから。
その安全が確保された上で、それまでの病院の出産に足りなかった部分、産婦さんのアメニティの部分を病院も変革し始めたのが90年頃です。
でも同じ頃に、病院での出産を否定して助産師による出産の方が良いという風潮を、助産師側が作り出してしまったのではないでしょうか、安全と引き換えに。

病院の出産に足りない部分があれば、改善していく方に全力を尽くせばよいことだと思います。そうではなく開業して自分の城を築くことで、理想のお産を求めているのが助産院ですね。
「こんなに素敵なお産をしています」というところがあってもかまわないと思います。
でも、日本の99%のお産、リスクの高いお産を請け負ってきた病院を否定しながら助産院の存在意義を求めるのだけはやめてほしいです。
また病院でもたくさん自然な経過のお産もあります。本当に助産院で勧めている「産むための体づくり」などが、根拠のあることなのかも疑問です。そこまでしなくても、と思うことに意味を持たせて妊婦さんたちに勧めていることも問題があると思います。
いつの間にか、産む人たちの間に溝をつくってしまったのではないでしょうか?

本当にお母さんと赤ちゃんのことを考えるのであれば、まずは安全性です。
それは助産師だけでは得られないものです。
だから助産師だけで分娩を扱う場所は、将来的にはなくしていくべきだと私は思います。

とくださいました。なんだか琴子だなぁとおもいました、琴子が「ほら、母ちゃんも言って!」と導いているような気がしてなりません。それも、一昨日の晩から昨日にかけて私は琴子のお墓参りに行っていて、その間にこういう対話がなされていて、その数日前に医師Xさんと「そろそろ自分の意見を書こうとおもっています」なんて話していて…ちょっと驚きました。

ブログ開設から今日までを振り返り、感じるままに言いますと、私は助産院は安全ではないとおもっています。自宅出産も同じです。どっちがどのくらいとかではありません。病院に対しての物理的な問題もありますが、思想での問題が大きいです。開業助産師の方がこのブログに対して荒らし行為をしたという事実もありますし、荒らし行為をしていない助産師の方でも、以前にsuzanさんが仰っていたことありますが、何故自分のところではこういう対策をしているなどの、具体的で詳細な説明が頂けないのかも疑問です。

二児の母さんの「助産院や自宅出産が無くなる社会」ということを受けての私の気持ちですが、私が「無くなるべきだ!」という働きをするということはないです、それは社会がいつか出すべき答えだとおもいながら、今まで通り、このブログで自分の感じたこと、勉強したいこと、したことを書くのと同時に、同じように助産院や自宅出産で悲しい結果、辛い結果になった方達のお話を伺ったり、その方達がブログを通じてご自分達のお話をしたいとおもわれたら一緒に記事を書かせてもらったり、そこからまた考えたり、必要であれば色々な方にご意見を求めたり、相変わらずです。だからタイトルも変えません。ただ、今の開業助産師の在り方や現状にはブログ開設のとき以上に危機感を感じているのは事実で、同じタイトルでもあの頃の私は、自分のことしか知らなかっただけです。
助産院や自宅出産が選択肢として存在している以上、私は「助産院は安全?」と、なかなか伝えられない事実を伝えるばかりです。そして存在している以上は、母子の安全を最優先していると誇れるようにして欲しいです。

産屋、そして村へ?

NATROMさんのブログ>吉村医院をモデルとする助産院と信友浩一先生のコラボ - NATROMの日記 吉村医院をモデルとする助産院と信友浩一先生のコラボ - NATROMの日記
この方達が憧れる吉村医院の吉村医師は、子供の死を自然のもので仕方がないことだ等と言っている。だったら何故搬送という手段を残すのですかね。実際に“魅了された”親たちは、「そういう不幸な結果になる方もいるのだろうけど、私たちは大丈夫」とおもっているのが殆どだとおもいますよ。もしも本気で「うちの子供はこの出産により死ぬかもしれないけど、私たちが選んだやり方に従ってもらうのも運命だ、仕方がないのだ」と、なんの根拠もなくそうおもう親がいるのだとしたら、それは胎児虐待でしょうね。生まれた子供が病院に行って治療を受けるべき状態なのに、それを放置して「運命ですから」として亡くなったら? それでもテレビで「それがその子の運命でした」と報道する日がくるのかな?
Yosyanさんもです(タイトルが素晴らしい)>行ってしまって、終わった人のお話

「お産の村」という構想も聞いたことがあります。村ですから、産屋よりも規模は大きいですね。こちらもいつかはこうやって形を見せてくるのでしょうかね…見たくないので、構想だけで終わって欲しいです。正直言えば、構想もしないで欲しいです。それでもいつか、「お産の村実現に向けて」とかって、新聞で好意的に紹介される日がきたり、支援者が束になってしまって…やめときます、想像だけでも嫌になる。

こうやって情報を交換しあえる時代の自然出産で、子供が死んでいるんです。本当の昔の、助ける術がない時代の産屋とか、村ではないのです。一歩外に、それもその思想から外に出れば、子供が死なないですんだ、植物人間にならないですんだ、障碍が残らないでもよかった可能性のある出産が現代にもあるのです。私の話は助産院、自宅出産という、自然分娩を素晴らしいと信じて選んだ出産の形の結果です、産屋のことを真剣に考えるのならば、何故、母子の命、安全性を最優先した議論が最初に徹底してなくて、いきなり夢と希望で語られるのかが疑問でなりません。嘱託医がいれば、搬送先が確保されていれば、それで責任は全うしていると言えるのでしょうか?
女性には産む力がなくなってきているとか、そんな風に現代人が現代人をいきなり見下して、あえて病院から離そうとしているのは何故? 何故、最初から病院で産むということを否定した思想で集うのか。


糸島での吉村氏の講演会を聞いて「出来たらいいな!」「私も次は自宅出産する!」というブログはチラホラとありますね。どこにも本気で「子供は死んでも仕方ないそうです」なんて書いていないようですが、こういう方は後から「覚悟はしていました」って言うんですよ。

私は昔の女性がそんなに喜んで産屋とか、出産を讃えていたとはおもえません、それは昔にはよくあったという出産による死を実際に経験した母親である私なら、すぐに出来る想像です。沢山産んだのは“出産が喜び”だったのではなく、避妊することも出来なくて、また、中絶するというのも今とは違って、だから産んでからの口減らしはあったわけで、産屋でもそれはされていたでしょう。

この計画と関連付けるのは失礼な気もしますが、私は産屋と医療―香川県伊吹島における助産婦のライフヒストリーの伏見さんの産屋研究に期待します。

シリーズ;開業助産師のリスクの説明 No.1

以前から助産院や自宅出産での助産師からのリスクの説明はどうなっているのか、という問題ですが、シリーズとして頂いている内容を皆さんにご紹介していきたいとおもいます。今回は助産所で出産されたfraqさんのお話をご紹介します。fraqさん、ご協力くださり有難うございました。
※分娩歴の詳細以外は原文のままです

出産の話について。
私は、平成○年と平成●年に埼玉県の助産所で出産しました。
実家から車で15分程度のところに助産所が見つかり、病院は医者が偉そうに
なんだかんだ指図してくるんじゃないか、こちらの希望とは違うことを事務的に
行うんじゃないか、という怖れから、最初から除外していたからです。
ホメオパシーはなかったと思います。
助産師さんは、問題があればすぐに提携の病院に搬送します、
お産は怖いから、という態度の方です。

平成○年の時は、陣痛が1分間隔になってから48時間経って、ようやく
生まれました。微弱陣痛だったため、長引きました。
助産師さんは、ひっきりなしに胎児の心音を確認していましたが、遷延した
にも関わらず元気な音で、全く問題なく進みました。
私(産んだ本人)が「なるべく病院には行きたくない」とやんわりお願いして
あったこともあり、助産師さんが頑張ってくれ、破水してから45分ぐらい
(曖昧です)で産まれました。手が先に出てきたそうです。
五体満足、健康な子です。
結局、最初からついてくれた助産師さんと、お腹を押してくれる助産師さんの
二人がかかりでした。
産まれた後、助産師さんは「よかったー。この助産所始まって以来の難産
だったよー」と泣いていました。
私は出産とはこんなものだろうと思い、感動もせず、えへへと笑っていましたが。
長時間の出産にも関わらず、出産後、ベッドから立ち上がって自分一人で歩いて
別室に移動したことにも驚かれました。
つわりもなく、助産師さんによると、とにかく私の体力と気力がすごい、と評され
ました。
私はまたもや、出産てこんなもんじゃないの?と思いながらえへへと笑って
いました。

平成●年の時も同じ助産所でお願いしていましたが、微弱陣痛のため、
1分間隔になってから24時間が経ち、二度目ということもあったのか、
助産師さんの判断で提携病院に救急搬送され、病院で3時間後に
出産しました。
病院で、と助産師さんが決めた時は、「ええー」とちょっと不服そうな顔をしたと
思いますが、「病院で!」と再度言われ、「ですね」と同意しました。
こちらも、五体満足、健康な子です。

「お産は自然なこと」という考えのあほな産婦だった私は、一度目のお産で
胎盤を食べる」という話を聞いたことがあるんだけど、と聞いたところ
「えええー、そんなものは絶対食べませんよ。気持ち悪いでしょー。だめだめ」
と言われ、胎盤を見せてもらうだけで終わりました。珍しいのでじろじろ見ました。

また、K2シロップは目の前でちゃんと与えてもらいました。
会陰縫合は、軽い裂傷のため、二度とも行われませんでした。
助産所には、ピアスのようなものが用意されているとのことでした。

                          • -

私自身は、お産で母が死ぬこともあるし、子が死ぬこともあるし、何らかの
障害があることもある、ということを、出産前からずっと肝に銘じており、
満足な医療がなされないことで助産所で誰かの命が失われることがあっても、
異論はない、と思っていました。
出産前に(ぼーっとして)いろんな情報を仕入れなかったこともあり、「太古の
昔からみんながやってる(出産)ことなんだから、なるようになるはず」という
ぼんやりとした考えしかありませんでした。
死ぬことが悪いことじゃないし、現在の発達した医療を受けられずに失われる
命があることはおかしなことじゃない、という気持ちでいました。
今でもその考えはありますが、琴子ちゃんお母さんのブログを読み続けている
うちに、救えるはずの命を救わないことが悪なのかな、と考え始めています。

病院では、出産後、普通に歩けるはずだと思いベッドを降りたら、貧血で
倒れそうになり、支えてもらってやっと歩けたほどで、驚きました。
出血量は二度とも同じ、中程度だったのに(ただ、私は2歳老けていましたが)。
そのことで、「やっぱり病院は違う。。」と勝手に思いました。
病室に鍵がかからないのも怖いし。。やくざやさんに間違われて、射殺された
事件がちょっと前にありましたので。

病院の医者や看護師さんは悪い方ではありませんでしたが、授乳時刻が決められ
ている不便さと不自然さにどうしても慣れず、1日早く退院させてもらいました。
退院したいと申し出ると「退院するの?いいよ。だけど、早く退院したことで赤ちゃん
に何かあっても訴えたりしないでね」と念を押されました。私もそんな考えは毛頭
ありませんでしたし、健康で産ませてもらってありがたい気持ちでしたので、約束
しましたが、「病院て大変なんだな」としみじみ感じました。

以上がくださった内容です。昨年に既に頂いていました。その頃に私から一度メールを送らせていただきましたが、ご連絡はないままです。
本当に手から出てきたのでしょうか…手から出てきたという場合はこのような対応(搬送しない)で構わないのでしょうか、私は手から出てくるのは足からよりも大変なことだと聞いていたので、本当なのか?と結構驚いています。お子さんが生きていてくれるのが琴子のときと重なって、信じられないほどです。勿論、お元気であるという結果は、それだけは良かったとおもっていますが、手から出てくるお産を事前に把握出来ていないことも、分娩進行の助産師の判断に素人なりに疑問を感じますので、「手からだったけど大丈夫だった」と伝わっていかないで欲しいと願うばかりです。

開業助産師がどのようなリスクの説明をしているかの具体的な話がないようなのですが、多分、最初にあった「お産は怖いから、という態度の方」という印象が残る程度のものであったのではないかとおもいます。

搬送の問題、確認 +雑感

うろうろドクターさんのブログで知りました>救急搬送時間が過去最悪、さらに大幅に遅くなりそうでしたね…
読売新聞 11月26日(金)11時10分配信

 総務省消防庁は11月26日、2010年版消防白書を公表した。それによると、119番通報から病院収容までの時間は昨年、平均36.1分で過去最長を更新した。全体の約半数は軽症患者だった。

 病院収容までの時間は、前年の35.0分から1.1分延びた。最も多いのは「30分以上60分未満」で全体の50.6%。次いで「20分以上30分未満」(32.7%)、「10分以上20分未満」(8.5%)となった。
 通報から救急車の現場到着までの時間も、平均7.9分(前年7.7分)で過去最長。「5分以上10分未満」が65.2%で最も多く、以下は「10分以上20分未満」(21.0%)、「3分以上5分未満」(10.8%)と続いた。

 全体の救急出動件数は512万5936件で、2万5566件(0.5%)の増。このうち、ヘリコプターの出動件数は3710件(前年3276件)で過去最多となった。救急車は、6.2秒に1回の頻度で出動したことになる。

 救急車で搬送された468万2991人を傷病程度別に見ると、入院加療を必要としない軽症者が50.7%を占めた。死亡は1.5%、重症は9.9%、中等症が37.8%だった。
 年齢区分別では、高齢者が49.3%で最も多く、以下は成人(40.9%)、乳幼児(5.2%)、少年(4.3%)、新生児(0.3%)と続いた。

※強調しているのは私、琴子の母です
新生児の0.3%がどのような事例でのことなのかも気になります。

助産院や自宅出産からの搬送に救急車を呼ぶのがどのくらいあることなのかがわかりません、嘱託医への搬送で救急車を呼んだ場合は搬送先が決っているからスムーズだという説明も目にします。また、搬送とは言っても、自家用車を使う話も耳にします。
丁度先日、かとうさんがコメント欄で

ちょっと質問です。
現在、産気づいた産婦さんが救急車で産院に行くのは、お断りしている状況でしょうか?
タクシーはタクシーで乗車拒否する所もあるらしいし。
地域ごとに違うとは思いますが、(タクシー会社が公共交通機関を担ってると意識を持ってる所は、タクシーを利用できると思いますが)現状、どうなんでしょう?
産気づいた時に救急車を使ってもいい所と、タクシーで来てくださいって所が地域ごとに分かれるのかな。

とありましたが、これに対してふぃっしゅさん

できるだけ救急車で来院することのないように、妊娠時から入院のタイミングについてお話するのが医療機関側の仕事ですね。

でもごくごくまれに、気付いたら急に陣痛間隔が1〜2分になったりいきみたくなってしまったり、破水したら頭が出始めたとかあります。電話で連絡を受けた時の声や状況から、病院までに産まれる可能性もありそうな場合にのみ「救急車を呼んでいいですよ」と話します。
通常は、病院までの所要時間、分娩の進行度などを総合的に判断して、自家用車やタクシーで来院してもらいます。

タクシーで乗車拒否というのはほとんど聞いたことはありません。反対に最近は、分娩が近くなると予約できる会社もあるそうですよ。
あと、雨の日や夜中の時間帯でタクシーがつかまりにくい時があるので、そういう場合には早めに来院してもらっています。

普通の分娩の始まりで救急車を呼ぶというのは、入院のタイミングについて施設側の説明不足か説明していても理解されていないかのどちらかという感じですね。できるだけそのようなことのないように努力していると思います。

とありました。かとうさん曰く

某匿名掲示板を読んでたら、救急車も駄目だしタクシーも乗車拒否されたから、陣痛が来てから自分で車で産科へ行ったって話をしてた人がいたんだけどその後、「最近は救急車を呼んでもいい」って言う人も出てきて、現状の本当のところはどうなんだろ?と疑問に思ったんです。

ということでした。どのような状態であれ、呼ばれた救急隊の方達は亡くなっている方以外は搬送することになるので、結果的にタクシー代わりの救急車という使い方をする非常識な方もいるのだとおもいます。ネットで検索していると、急に陣痛がきて、それもほぼ分娩状態という場合は呼んでも構わないのではないかというご意見が多く、でも無介助分娩の方の場合は健診すら受けていないのでしょうから、搬送先を探すということになりますね。助産院や自宅出産の場合でも提携先に搬送されなかった方の話を聞いていますので(ブログ外)、そこら辺は開業助産師の方にじっくりと話を聞いて、過去に救急搬送となった場合がどうだったのかも聞いたり、更に嘱託医の方にも確認して欲しいです。
あと、ネットで見ていると、自宅出産希望で助産師が間に合わなかったという事例もありましたね、更にこれは私も直接そうなった方からお話を伺ったことがあります、それによりご主人が「次はもう病院にして欲しい」と言ったそうです。

母体搬送でいうと、以前に当ブログでもありました
更に

もありました。ネットで検索しながらだと、自分の過去の記事にも出会ったりもします。桜ママさん、お久しぶりです。

搬送の問題は助産院、自宅出産にも大きく関わってきます。また自分でも調べていきたいとおもいます。

助産院と代替医療・ホメオパシーの問題

メールで暮らしのAll Aboutというサイトの中に助産院とホメオパシー - [チビタス連載]があると連絡を頂きました。出産ジャーナリストの河合蘭氏の連載記事です。
随所に問題を感じていますが、

両方のことをよくわかっている助産院を選びましょう

どちらをどのように取り入れていくかを決めるに当たっては、両方の良さをよく知る医療の専門家からアドバイスがほしいところです。助産院の助産師さんは、自然な産む力を生かそうとしてくれる人ですが、産科学や新生児医療についても学び、病院でもそれなりの経験を積んでいる人のはずで本来はその適任者であるはずです。

助産院で出産する場合は(ほとんどの助産院はそうしているはずですが)、代替医療と同時に、西洋医学の恩恵もきちんと受けられるように配慮している所を選びましょう。

これは特にどうでしょうか。両方のことをよくわかっている助産院を選ぶ? 確かに助産師になるには専門的な教育をきちんと受けた方がなっているはずなんですが、助産師会の理事にまでなっている方がホメオパシーのレメディだということを妊産褥婦に黙って与えていた過去を知っていると、仮に両方のことをよくわかっているとしても、出す答えに問題があるのでは意味がないのではないでしょうか?
また、助産師会は西洋医学よりも代替医療を選んでいたのだと私は感じているし、個々の助産院や助産師の責任にだけするような流れもまた作られつつあるのだろうと感じますね。 

あと、代替医療は世界中にあるからとか、【ホメオパシーは使い方次第では助産院でもまだまだ使っていくべきものだ】ということなのでしょうか。

用手剥離のリスクや説明

これは本来、開業している助産師の方がするべき説明ではないかとおもいます。先日の当ブログ「助産院、自宅出産の問題を医師の責任にしていてはいけない」にくださった不思議ちゃんさんのコメントの内容からです。不思議ちゃんさん、有難うございます。

まず、ここで問題になっている胎盤用手剥離について説明させていただきます。通常、児娩出後、30分以内に胎盤が娩出されれば正常分娩経過と判断して問題ないとされています。逆に、児娩出後、30分以上経過しても胎盤が娩出されないのであれば、正常分娩経過から逸脱したことになります。すなわち、法的規定に従い正常分娩経過から逸脱した時点で、例え全身状態が安定していようとも助産師が扱う範疇ではなくなる訳です。胎盤が30分以上を超えて娩出されない場合、その原因について鑑別を行い、用手剥離により胎盤を娩出させる必要があります。大抵は用手剥離により胎盤は娩出されますが、用手剥離を行う前に最悪の原因・事態を考えなければなりません。最悪の原因の一つとして癒着胎盤というものがあります。福島県立大野病院で癒着胎盤で妊婦さんが亡くなり、その後、検察により刑事事件となり、さらにマスコミによる報道も加わり周産期医療の崩壊に拍車をかけたことは記憶に新しいかと思います。癒着胎盤とは、簡単にいえば胎盤が母体の構造物である子宮の筋層に癌細胞のように食い込んでしまった状態です。子宮は筋肉でできており、その中には無数の血管(動脈・静脈)が走行しています。そのような血管にまで胎盤が食い込んでいると考えてください。この胎盤を無理に引き剥がそうとするとどのような結果になるのか、想像するのはさほど難しくないでしょう。あっという間に大出血を起こします。従って、胎盤が剥がれず大出血を起こした場合の次の一手を十分に考えた上で、用手剥離を行わなければなりません。産婦人科で行う場合には、必ず、大口径の点滴針で輸液ルートを確保してから行っています(通常、分娩時より輸液ルートは確保されています)。一次医療機関である開業産婦人科で用手剥離は普通に行われている手技ですが、もし、胎盤の一部が剥がれない場合、その時点で用手剥離を中止し、大量のガーゼを子宮内に詰め込み圧迫止血を行いながら高次医療機関に搬送するのが望ましいでしょう。
では、高次医療機関ではどのような処置を行うのか?
まず、そのような患者が搬送されてきたら、まず、大口径の点滴針による輸液ルートを複数確保します。さらに十分な輸血の手配と手術室の手配、さらにカテーテルによる子宮動脈塞栓術を視野に入れ、麻酔科医師、ope室スタッフ、放射線科医師、輸血部に連絡を行います。そして、十分に準備が整った段階で胎盤の剥離・娩出を行います。胎盤剥離後、出血が止まらない場合には、カテーテルによる子宮動脈塞栓術を試みますが、余裕がない場合にはすぐに子宮摘出を行います。
ですから、TOYOTAさんの奧さんが搬送された市民病院の医師が言った「子宮を摘出する」という言葉は当然すぎる説明です。私自身、通常の予定帝王切開を行う患者さんに対して、出血がとまらない場合は子宮を摘出すると説明していますし、術後に肺塞栓症を起こして亡くなる場合があると説明しています。

今回もきっかけがTOYOTAさんのお話です。>【用手剥離】をご覧ください
尚、用手剥離は医療行為だということで、TOYOTAさんの助産師も

胎盤用手剥離はね、ルートをとる必要もあるし、上手く剥がれば良いけど、下手するとそれこそ大出血になることだってあるのよ。そうなると搬送しても間に合わなくなる非常に危険なことなのよ。助産師会で助産院ではやらないということになっているのよ」

と説明されたそうです*1助産院、自宅出産、助産師には出来ないということだそうです。
不思議ちゃんさんがTOYOTAさん宛てに書かれている質問ではありますが、これは助産院や自宅出産を選択される方全員に向けられた質問とおもいますし、私も皆さんに伺いたいです。

>TOYOTAさん
助産院では妊娠・出産のriskについてどのような説明を受けていたのでしょうか?TOYOTAさんも奧さんも妊娠・分娩に関するriskに関して非常に軽く受け止めていたのではないでしょうか?だから、市民病院で説明を受けたときに動揺されたのではないですか?通常、産婦人科からの搬送の場合、搬送先の病院で受ける可能性のある治療について、ある程度、搬送元の産婦人科医師から患者さんに説明があるものです。TOYOTAさんの奧さんをみていた助産師さんは、搬送先で受ける可能性のある治療(例えば、子宮を摘出する可能性)について説明はされていましたか?

さらに、分娩のリスクに関してですが、
TOYOTAさんの奧さんの開業助産師は「胎盤用手剥離はね、ルートをとる必要もあるし、上手く剥がれば良いけど、下手するとそれこそ大出血になることだってあるのよ。そうなると搬送しても間に合わなくなる非常に危険なことなのよ。助産師会で助産院ではやらないということになっているのよ」と言われたということですが、まさにその通りです。
しかし、一方で、あなた方夫婦に弛緩出血に関して分娩前に説明していましたか?弛緩出血はいくら正常分娩経過であろうとも起こりえます。「下手するとそれこそ大出血になることだってあるのよ。そうなると搬送しても間に合わなくなる非常に危険なことよ(引用)。それに備えて、通常、病院でのお産では分娩時より点滴ルートを確保しているけど、助産院ではしていません」という説明を受けましたか?「この助産院では医者がいないので何かあったときには等々リスク説明はきちんと受けています。」ということでしたので、あなた方夫婦が納得されたリスクの説明内容を是非教えて下さい。そして、あなた方夫婦が、どの程度の覚悟で助産院での出産を決意されたのかを教えて下さい。

TOYOTAさんは当初は助産院を選ぶ際にしっかりとした説明を受け、ご親族にも覚悟を伝えたと仰っていましたので、ご自身は必要な覚悟はしていたけど、搬送となった先の病院では医師に脅されたようだったというご感想だったと私は感じています。なるほど、私たちは病院でのことは病院の医師や助産師が説明するべきだとおもってしまうのかもしれませんが、それも間違ったことだとおもいました。勿論、そこで受ける具体的な処置や承諾書のようなものは医師の責任でされるわけですが、搬送をお願いした助産師がただの傍観者でいいわけがなく、そもそも不思議ちゃんさんがしてくださったような説明を助産師がしておくべきだったのではと感じたし、非常事態が生じたことにより、更に必要となる説明を助産師が待つ親族にしておくべきだとおもいます。多分、助産師の出来る説明は医師にはかなわないとおもいますが、しかし、周産期医療の一部として存在しているというのであるならば、その役割は当然あるとおもいます。
また、カルテの扱いについても再考したいとおもえることもありました。TOYOTAさんには大変厳しいことを続けてしまうようで申し訳ないのですが、しかし、TOYOTAさんがご経験されたことは助産院、自宅出産だからこその問題を多く含んでいることですので、是非、今後の母子の安全のためにもこれからも一緒に考えさせて頂きたいと思います。出来れば不思議ちゃんさんも求められていますように、私も助産師からの説明をより具体的に教えていただきたいとおもっております、TOYOTAさん、宜しくお願いします。また、他の助産院、自宅出産を選択された方からのも引き続きお願いいたします。

用手剥離、癒着胎盤について知りたいとおもってネットで検索してみたところ、

がありました。私もこれから読みます。

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